【前回の記事を読む】僕が「救い」だと信じ込んでいたその行為が、知らぬ間に彼女を追い詰めていた
第一章 微笑みのはじまり
恋人時代の僕は、自分が支配的な人間だなんて夢にも思わなかった。むしろ彼女を導き、彼女を守ることが自分の役目だと信じて疑わなかった。愛するということは、相手の未来を正しい方向へ誘導することだと、愚かにも考えていた。
けれど、愛とは本来、もっと風のように自由であるべきものだったのだ。
彼女が笑顔で頷くたびに、僕は自分の選択が正しいと確信した。しかしその頷きは、彼女自身の声を少しずつ失わせる沈黙の始まりだった。
今でも夢に見ることがある。大学の図書館で、藍色のカーディガンを着た彼女が僕の隣に座り、「ここ、座ってもいいですか?」と微笑む光景を。窓から射し込む午後の光が本のページを照らし、埃の粒がその上を漂っている。彼女が椅子を引くときのわずかな音までも、夢の中では鮮やかに再現される。
もしあのとき、僕がただ「もちろん」と笑い返し、その後も彼女の自由を尊重することができていたなら、僕らの未来は変わっていただろうか。
その問いは、いまも僕の胸の奥で小さな棘のように刺さったまま抜けない。触れれば痛むが、決して抜け落ちることはない棘として。
第二章 小さな歪み
結婚式の日のことを、僕はいまも断片的にしか覚えていない。
あの時間は、まるで露出過剰したフィルムのように、明るさと白さばかりが焼き付いてしまっている。式場の照明は必要以上にまぶしく、白い壁とテーブルクロスは、まるで人工的に漂白された夢の断片のようだった。友人たちの笑い声はひとつの大きな泡のかたまりになり、天井の高みにぶつかっては静かにはじけ、またどこからか湧いて出てくる。
僕はその音の洪水の中に立ちながら、自分が現実に立っているのか、それとも精巧に組み立てられた舞台装置の中に迷い込んでいるのか判別できなかった。
その泡の中心で、彼女はやはり笑っていた。純白のドレスをまとった彼女は、まるで光そのものが人の形をとったようで、手に持つブーケは小さな灯火のように微かに揺れながら彼女の存在を浮かび上がらせていた。その笑顔を見たとき、僕は「これからも守っていかなければ」と強く思った。
だが今にして思えば、その「守る」という言葉の中に、すでに彼女の自由をひとつずつ削り取っていく予兆が含まれていたのだ。