② 母の心

今思い出すとゾッとする事件だったのですが、その時は怖さも痛みも事の重大さも感じませんでした。

昨今の世相や考え方から見れば、当然に暴行・傷害罪に問われても仕方がない状況でしょう。

(※なぜ? という疑問があると思いますので、その意味づけをあとがきに追記しました)

私は、ただただ、「子供たちを犯罪人の子にはしたくない」という一念だけでした。それだけを思い、その原因となった理由づけが脳裏を駆けめぐります。彼に刺されたとは言えません。理由などを聞かれて、咄嗟に、負傷した理由づけができそうなことを医師に伝えていたのでした。

本人が刺されたという言葉を発していれば、明らかに事件として扱われたでしょう。刺された患者が必死で理由づけしていて、それが事実ではないとわかっても、医師は、患者の自訴を無視できないのです(悲しいことですが、これに似たことは後にも経験しています)。

縫合手術を受けている時、医師たちの声が聞こえました。「三面記事だな」と。

処置が終わり、「六センチメートルの深さでした。一センチずれていたら大変だったでしょう。縫合したので、外側はすぐよくなります。体内損傷の再生は三カ月くらいかかりますが、心配ありません」と。

本当にまたも「いのち」を救っていただけたのです。