「ごめんなさい。お応えできません。すみませんが失礼します」
そう言って、入江に頭をさげ、優子は席を立ち、レジで二人分の精算をして、店を出た。
翌日から、優子の家のポストに、切手の貼っていない封筒が、毎日届くようになった。入江からの手紙だった。毎朝、優子の家まで来ているのだった。内容は、優子への未練を支離滅裂に書いたもので、入江は正常な精神状態ではなかった。
五日目の木曜日の朝、電話が鳴った。入江からだった。
「今、喫茶店に来ています。すぐ来て下さい。もう一度だけ会って下さい」
いつもとちがう、低い暗い声だった。優子は怖かったが、毎日ここまで来て、異常な手紙を入れている入江の気持ちを終わらせるためには、会うしかないと覚悟した。
「わかりました。これから行きます」
喫茶店に入ると、憔悴しきった入江が座っていた。優子はその向かいの席に、そろりと座った。
「僕らは、やり直せませんか?」と、入江は言った。
「無理です。ごめんなさい」と、優子は首を横に振った。
「あぁ!」
入江は叫ぶように言い、天井を見あげた。そのうつろな目から涙が溢れでた。頬を流れる涙を拭こうともせず、ゆっくりと顔を正面に戻し、入江は優子を見た。
「殺人なんて、バカな奴がするもんだと思ってましたよ。でも、僕も人を殺したい気持ちがわかりましたよ」と言い、入江は不敵な笑みを浮かべた。
「……」
優子は凍りついた。入江は、自分を殺したいと言っているのだとわかり、怖くてブルブルと震えてきた。
「フーーッ」と、入江は大きな溜め息をついた。そして、やっと涙をハンカチで拭いた。
「わかりました。……今日、来てくれて、ありがとう」と、入江は顔をゆがませて言った。
「……」
「帰っていいですよ。もう帰って下さい!」と、入江が言った。優子は、跳び上がるように立ち、入江に深々と頭をさげてから、走って店を出た。
優子は家の玄関に入るなり、過呼吸の発作が起こり、倒れ込んだ。這うようにして台所に行き、 頓服薬を水で飲んだ。優子は泣きだした。申し訳なく思い、入江の幸せを心から祈った。