12 友人と歩いたニューヨーク

ニューヨークと言えば、忘れてならない思い出がある。そのう、9.11 話だ。 2001年9月11日。もう22年前になる。犠牲になられた方々のご冥福を心から祈る。この白いバラの花に込めた祈りが、筆者にも今もって熱く迫ってくる思いがする。当時は、この地にワールド・トレードセンタービルが空に向かって2本屹立していた。そのビルの上層階から2本の煙が立ち上っていた姿は、忘れ得ぬ情景だ。

丁度このテロ事件が発生する1ヶ月前に、筆者は友人とこの近辺を歩いていた。のほほんと何の屈託もなく。もしかして9.11ではなく8.11だったとしたら、我々もこの白いバラを手向けられた方のように、慰霊碑に名前が刻まれていたかもしれなかったのだ。

 

当時おじさん二人でボストン・ニューヨークを経めぐった旅行記の最終章にこんなことが書かれていた。

「最後の最後までハラハラすることが尽きなかったが、ともかくオジサン二人揃って無事に帰国することができた。折しも、日本は総選挙戦の真っ只中。しかも小泉さん(当時の首相・小泉純一郎氏のこと)の空前の人気で、浜松に着いた時に彼の街頭演説があり、中学生の女子までが黄色い声を張り上げていた。

そしてまた、帰国後まだ日が浅く写真の整理もつかない頃に見たあの大惨事。マンハッタンの景色が変わってしまった。あれがもう1ヶ月早かったら、我らも被災していたかもしれない。世界には、狂信的な人たちが現実の世に住み、人を人とも思わない論理がまかり通っているようだ。

人の命は地球より重いとする日本的価値観にはいささか辟易するが、それにしても大量殺人だけを目的に、しかも周到な準備で黙々と行動する狂気には、身の毛のよだつ思いがする。何か大きなでき事の場面には居合わせたいとの野次馬根性を誰しも持っていると思われるが、今度のテロだけはそうでなくてよかった。犠牲になられた方々の、ご冥福を祈るのみ」

 

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