【前回の記事を読む】フロリダに住む日本人。車内ではドアロックをかけ、短銃を膝の上において待機する。以前、トラックに乗った若者に銃を向けられ…

1. プロローグ

自宅アパートのあるブロワードカウンティは、高層ビルが林立するマイアミのダウンタウンから北に三十マイル(約五十キロ)ほど離れたエリアにあり、ストゥーディオ、つまり日本でいうワンルームをかなり広くしたようなタイプの家賃相場は六百ドル程度の比較的治安の良い場所と聞いていた。それでも住人の多くは黒人で、少なくとも東洋人の居住者を見かけたことは一度もなかった。

洗濯を終えた帰り道にいつもかける八十年代のアメリカン・ハードロックのリズムに乗せて、ハンドルにそえた指を上下に揺らす。モールから片側四車線のユニバーシティドライブを北上し、ちょうど二曲聴き終わる頃合いに、規模の小さなゴルフコースに隣接するアパートメントコミュニティの入口が左手に見えてくる。

駐車エリアへと続く路地に入り、ただの廃屋にしか見えないクラブハウスを兼ねた平屋のアパート管理事務所の傍を通り抜けて、そのまま集合メールボックスを横目に緩い右カーブに差しかかると、そこから先は等間隔に黄色の高い起伏が路面に設けられているせいで、ぐっと速度を落として徐行で進まなければならない。

アパートの前には「BUY ME! 」とフロントガラスに口紅で走り書きされた屑鉄同然の大きなアメリカ製のバンが放置されたままになっている。その錆び果てたボンネットの上にはバッファローの巨大な角がボルトで固定されてある。

その陰に隠れて、ムラマサというスシ・バーを経営するショウゾウさんの古い日本製高級サルーンと、学生ビザで美容師の仕事をしているヒカルの赤いコンバーチブルが並び、彼女の車と向かい合わさるようにムラマサでキッチンを取り仕切るリッキーの高級ドイツ車が枠を大きくはみ出て斜めに駐まっている。

それ以外にも見慣れない車やモーターサイクルを何台か見つけ、自分の部屋にどれだけ人が集まっているのかを思い浮かべてみたが、さっぱり見当がつかない。

すでにどの車のガラス窓も真白く曇り、水滴の線は肥大しながら中を透かして徐々に落下速度を速める。僕は部屋のリビングテラスの脇にそのまま前向きで車を止めてエンジンを切った。

カーステレオの音楽が止み、部屋の玄関からはヒップホップミュージックのベースラインが地鳴りのように漏れてきていて、リビングのガラス戸を覆う白いシェードカーテンがところどころで揺れるたびに、縞模様の長い光が地面に現れては消えた。