【前回の記事を読む】頭からゴミ箱にハマった女探偵が足をばたつかせて助けを呼んでいた

プロローグ

ここのマンションはオートロックとなっているも、どういうわけか風俗関係の怪しげな広告や、今の政治における主義思想を綴ったチラシなどが、よく郵便受けに入っている。

先ほど帰宅した美羽は、ポストから不要な物を棄てた際、誤ってクレジットカードの明細書まで丸めてしまったのに気づき、こんなところ見られたくないなと思いつつ中を漁っていたら、パンプスの先に付いていた雪で足を滑らしてしまい、ショートムービーなら十万回は再生されそうな格好となった次第であった。

「さっきの姿。SNSにでもアップすれば、さぞや映えていたでしょうねぇ」

志村はハンカチを取りだし、埃だらけの顔を払ってあげる。

ふたりはお向かい同士の住人で、知り合いからの貰い物や、作りすぎた夕食などを配りあう仲だった。

「『映える』ではなく、『生える』でしたね……。ところで志村さんは旅行でしょうか」

「ちょっとハワイまで行ってまいりますの。なにかお土産を買ってくるわね」

「わぁー、年末は暖かい所で過ごすのですか。たのしそうですね」

エントランスへと来たついでに、志村も自分のポストを開けて確認をする。すると中には仰々しい文字の並んだ、厚手の封筒が入っていたが、「用済みね」と、最前まで美羽が占拠していたゴミ箱に投げこんだ。

「なんとなーく大切そうな封書でしたが……。いいのですか? 中を開けなくても」

「いいのよ。もう死んだから」

「死んだ? どなたがですか」

「父よ」

「はぁ……」

志村によると、彼女の実父は地元でも有名な資産家で、不治の病に伏したのを機に、弁護士を通じて、公正証書による法定相続人への正式な権利移行をおこなう書類を作成していたとのこと。さも興味なさ気に捨てた封筒は、その権利移行の手続きと告別式への参加可否を問う書類であった。

「――世間でいう『遺言状の公開』ってやつね」

「すると、お父さまは、ご自身の死期が近いのを悟っておられたわけですか……」

「そうなの。今朝、自宅で息を引きとったとの連絡を受けたので、予定どおり葬儀のあとに式をするから帰ってきてほしいんだってさ。拒否したけれど」

「拒否した? では参加されないのですか」

「私は生まれたときから今の両親のもとに養子として出されていたの。血縁といってもかかわりがないし、遠いし割に合わないわよ」

志村は、からからと笑い、キャリーケースに手を伸ばした。

「遠いって、どちらですか」

「鳥取よ。そういえば美羽さん、ワインが好きだったわよね。有名なワイナリーがたくさんある県よ」

「そうなんですか」

「二十世紀梨で作った珍しいワインなんて絶品よ。飲んだことある?」

「いえ、ないです。そんなにおいしいのですか」

みるみるうちに美羽の瞳がハートマークになっていく。志村は、それがおもしろいらしく、手で口を覆った。