後でお聞きすると寿子会長がバスリーダーに私を指名してくださったようです。

そんなことも知らずまた一生懸命しゃべり続けた車内でのこと。あんたよくしゃべるね。おじいちゃん(松本清)そっくりや、男は黙っていたらダメ、これだけ従業員がいたらでしゃばらなきゃダメよ。いつも男は黙って黙々と仕事をすること、出しゃばらず謙虚にするようにと怒られてきた私が初めて褒められた瞬間でした。

なぜこの一年電話してこなかったの?と言われ、いや、その、本当に電話していいんですか?と。バス旅行が終わってすぐに会長にお礼の電話を入れると家に来なさいと言われ、翌日から一緒に朝食を食べる日々となりました。

何でも一番にならなきゃ。電話番号ぐらいは一番になれると0001。会長の車のナンバープレートも1。その当時の柏の店舗は柏市で一番高いビル。松本清は何でも一番が好きだったとのこと。

慶應義塾大学への社会人経営研修プログラム(MDP)への参加の時も、ロート製薬株式会社の山田邦雄社長にその研修留学制度の良さを寿子会長にお話しして頂きました。その時もたった一つだけの条件が出されました。

「ドラッグストアからの参加は一番目ですか?」と。さらに、「お金の心配はしなくていい。南海雄(会長の次男)社長には私が言ってあげる。会社から出せなければ私がだしてあげる」と続けられ、びっくりしたのを覚えています。

実は南海雄社長の計らいで、研修留学として仕事として大学に通わせて頂けたのです。心から感謝申し上げます。

会長、なぜ1号店から21号店まではないんですか?

そんなに『一番』を大切にする会社なのに、私にはどうしてもわからないことが一つありました。そこである日、店舗視察の途中に車の中で会長にその疑問を直接聞いてみたのです。

「会長、なぜマツモトキヨシには、1号店から21号店まではないんですか?」と尋ねると、会長は少し懐かしそうに話をしてくれました。

創業者の清さんはユニークな方だったようで、店舗がたくさんあるように見せるためになんと22号店からスタートさせたのだそうです。他にも、胃腸薬や頭痛薬を売ったら箱をもらって空箱を飾って商品がいっぱいあるように見せていたことや、次のお客さんがくるまで前のお客さんと話し込んでにぎやかに見せていたことを聞きました。