【前回記事を読む】口も出すけどお金も出すという二刀流で誰も頭が上がらなかった祖母は私にとっての親友であり唯一の理解者

第一章 私の社会人経験

最初の企業での経験

早速話を聞くと、「三年ぐらい一生懸命やれば自分の店を出すことも夢じゃない。4月から入社できれば新入社員の教育を無料で受けさせてあげるよ。また独身寮にも入れてあげるから」と。給料がもらえて基礎から学べて、ほぼ無料で独身寮に入れる! この言葉にビビッと来て、是非4月から入社させてくださいとその場で即断即決。

今では考えられませんが、入社試験もなく面接も世間話で終わったように思います。もし今、中途の入社試験を受けたら100%落ちるでしょうね。

今から思えば、その当時は、薬剤師免許が欲しいのであって私を見てはいなかったと思われます。薬剤師免許さえあれば店が出せ儲かる時代。その後の店舗運営は、薬剤師以外の社員が運営する。採用担当者から見れば体力があり、荷物が3階まで運べる労働力が採用コストをかけずにやってきたと思われたと思います。当時は3年で3割以上の薬剤師が退職していました。

就職してから母に話すと、「病院を勝手に辞めて、そんな聞いたこともない所に就職するために大学へ行かせたわけではない。情けない」と大喧嘩が始まり、落胆して泣いていましたが後の祭り。もう病院は辞めていましたし、何より大阪の下宿先にもいないわけですから。

その7年後に松本寿子会長と松本南海雄社長の奥様が新幹線で名古屋駅に降りられました。伊賀上野のロート製薬株式会社の工場見学に招待されたのです。寿子会長から「いしわら君の実家はこのあたりかな?」と「はい、ここから車で20分ぐらいの距離です」と伝えると「道中少し寄り道しようか」と仰いました。

さあ大変、見たこともない黒塗りの、車体の長いリムジンが実家に横付けされると、父と母は腰を抜かすぐらいびっくりして会長様のオーラにひれ伏しておりました。息子をどうぞ宜しくお願いしますと。「いしわら君はよくやってくれてますよ」とリップサービスとその場で色紙にサインをしてくださって。今でも母の宝ものとして飾ってあります。会長のおかげで、お袋に恩返しができた瞬間でした。