はじめに
私たち日本人は清潔さと勤勉さを美徳とする国民であり、戦後、世界が驚くような経済発展を遂げました。その結果日本は長年にわたり、世界から高く評価される国になりました。GDPの順位ではドイツに抜かれ世界第4位となりましたが依然として日本は、技術力・文化力・国民性において超一流の国家として、世界的な存在感を保ち続けています。
ところが、日本という国の美しさとは裏腹に、日本人のお口の中の状態は、決して誇れるものではありません。未だに多くの人の口腔内は銀歯で埋め尽くされ、プラーク(歯垢)だらけというのが現実です。衛生状態は芳しくなく、「健康国家・日本」としての理想とは大きなギャップを感じざるを得ません。
私は歯科医師になって45年、ここ千葉市で開業して40年が経ちました。その間、より良い治療を目指して研修会・学会等に足繫く通い、技術と知識の研鑽を積んできました。勉強してきました。「もっと上手になりたい」「より質の高い医療を提供したい」そんな一心で歯科医療の奥深さと真摯に向き合ってきたつもりです。
確かに治療は年々向上し、自信を持てる場面も増えました。けれどもその一方で日々の診療を通じて見えてきたのは、患者さんのお口の中の数々の“不具合”でした。歯周病は放置され、詰めものや被せものの隙間、プラークだらけの歯など見逃してはならない問題が、静かに、しかし、確実に存在していたのです。
そんな診療現場での体験が私に改めて問いを投げかけました。
「私たち日本人は、本当に口の中を大切にしてきただろうか」
統計によれば日本人の80歳時点での残存歯は13本。つまり本来 28本ある永久歯のうち、15本は失われているという現実があります。一方北欧のスウェーデンでは同じ年齢でもほとんどの人が20本以上の歯を残しているといわれています。
この差は、単なる医療技術の違いではありません。国としての予防意識の高さ、定期的なメインテナンス文化の有無、そして国民の「歯の価値」への認識が大きく影響しています。日本では奥歯が失われ、前歯だけがかろうじて残る、そんな構図を、私は日々の診療の中で、何度も目の当たりにしてきました。
それでは、何故、私たち日本人は年齢と共に歯を失ってしまうのでしょうか。
その理由を患者さんのせいにするべきではありません。実際には私たち歯科医師、そして日本の医療制度そのものに問題があるのです。
日本の歯科は、長らく「対症療法」が中心でした。「何故むし歯になるのか」「どうすれば歯周病を治せるのか。そして予防できるのか」といった予防に関する情報はほとんど伝えられず、患者さんが痛みを訴えて治療が始まる。――そんな構造が今なお残っています。
その背景にあるのが、日本の「疾病保険」です。この制度は、病気でなければ保険診療は受けられないという仕組みになっています。つまり、予防処置や定期的なメインテナンスといった、病気を未然に防ぐケアは、原則として保険の対象外なのです。
しかし、患者さんが本当に望んでいるのは病気にならずにすむこと――、すなわち歯科でいえば虫歯・歯周病を予防し自分の歯を治療することなく、生涯大切に保つこと。それこそが歯科医師に対する最も自然な願いではないでしょうか。