羊の番と言っても、羊は勝手にその辺で草を食んでいるだけなので何もすることはない。風に当たりながら空を眺めていると、ついうとうとしてしまう。
眼をつむったリョウの頭には、懐かしい長安での暮らしが浮かんでくる。街の賑やかな通りには、母の父、つまりリョウの祖父が営んでいる「鄧龍(とうりゅう)」という屋号の石屋があり、リョウや妹のシメンは、しょっちゅう母に連れられて遊びに行ったものだ。
祖父はことのほかリョウをかわいがってくれ、まだ幼いリョウの手に石鑿(いしのみ)と金槌を握らせては、石板に絵や字を彫らせた。
「この子は筋が良い、幼いのに線に力がある」などと言って、相好を崩す祖父の横で、母もリョウが彫った「母の顔」を嬉しそうに受け取り部屋に飾っていたものだ。
もっともそれは、ただ石の上に丸や三角の傷をつけたというほどで、眼鼻も区別がつかないような代物だったのだが。
そんな祖父だが、リョズガッシュというソグド名は長すぎて呼びづらかったのか、孫のことをいつも「リョウ」と呼んでいた。もしかしたら漢人である祖父は、本当はソグド名をあまり好きではなかったのかもしれない。その代わりに、漢字の名前を付けてくれた。
「なあリョウ、お前の名前は漢字ではこう書くのだよ」
そう言って祖父は、石屋の裏庭で地面に大きく〝諒〟と書いた。
「この字はな、〝まこと〟という意味だが、わかるかな。嘘をつかない、他の人のことを思いやるという意味があるのだよ。それに明るいという意味もある。お前の〝リョズガッシュ〟という名前は、唐の言葉では〝風〟というのだが、風は明るさに通ずる。だから〝諒〟なのだ、うまいもんだろう。唐ではこうして、親にもらった名前と普段の呼び名とを、意味づけることに知恵を使うのだよ」
祖父はリョウを膝の上に抱き上げその小さな手を取ると「さあ書いてごらん」と空中に〝諒〟の一画一画を一緒に書いてくれたものだ。
同じように祖父は二歳違いの妹のシメンにも〝詩明〟という漢字名を付けた。シメンはいつも母が口ずさむ流行りの歌を一緒になって唄っているからだと祖父は言った。
「〝シメン〟は〝草〟という意味だ。草原は明るい、それはシメンの明るさに繋がり、内なる明るさを口から歌として発することを〝詩〟というのだ」