「なぜ被害者はあの少年の名前を呼んだのでしょう」

「さあな。でも、あの少年は鳥居先生の息子さんだ。そして鳥居先生は被害者の恩師でもある」

手帳をしまう。月島が鳥居美晴の事件について口にした瞬間を思い出す。事情聴取の際、終始わざとらしいアルカイックスマイルを保っていた。その笑みが痛々しかった。少年の中で時間が動いていない部分が見えた気がした。

「鳥居先生の自殺と今回の事件と関係があるのかもしれないな」

行沢は月島翼の後ろ姿を探していた。もうとっくに教室についているだろうに。しかし藤堂はそれを笑えなかった。藤堂も同じだった。まだ言いたいことがあった。けれどそれは胸の奥で言葉の形をとらずに喉奥に引っ掛った。

「すみません。鳥居先生ってどなたですか。先生の事件ってどんな事件なんですか」

「ああ、そうだよな」

藤堂は顎を撫でた。そして当時の捜査をぽつりぽつりと話し始めた。

鳥居美晴は高校の教師だった。口数は多くない先生だったが気遣いができて、生徒には人気の先生だったようだ。

彼女はずっと実家で母親と暮らしていた。転機が訪れたのは、翼の父親、敏行と出会ってからだった。敏行は美晴と出会う一年前に妻と離婚している。

理由は妻の浮気だった。当時幼い翼と二人で暮らしていた。そして、敏行は美晴と出会う。

二人は徐々に距離を詰めていった。しかし結婚までに時間が掛った。

「え。何が嫌だったんですかね」

「お前みたいにとっかえひっかえしているわけじゃないから慎重なんだろ」

「ひでえ」

「まあ、冗談はさておき、彼女の場合、先天的な身体の異常があったからな。それもあって、本当にあの男に嫁いでいいのか、かなり迷ったようだ。結婚を拒んだんだろ。結婚を決めた後も、書類を作成したり、家庭裁判所に保留のまま出していた戸籍に追完届を出したり云々、結婚には必要だったからな。忙しかったんだよ」