序章
寄せては返す記憶の波は時を懐かしむように、心を揺らしながら、極寒の地、網走刑務所から、沢田は出所することになった。雪は降りしきっていた。風は冷たく心を切り刻んで、途絶えた数多くの妙子からの手紙をバッグ大事にしまいながら、駅へと向かった。
網走駅にはストーブが並び、その上のやかんから立ち上る湯気は、まるで春の日差しに揺らめく陽炎のように彼を温かく包み、冷たい空気の中で一瞬の温もりを感じさせた。
小柄な駅員は沢田が時間を持て余しているのを見かねたのか、新聞を手渡してくれた。真新しい紙面は、土地や株も値上がりし、熱狂に包まれている様子で埋め尽くされており、社会情勢の変化を感じて、妙子との出会いから幾年が経過したのだろうかと指折り数えようとするも、それが滑稽であることに沢田はすぐに気づいた。数十年の時が経過していたことが、つい最近のように思えたのである。
駅員は沢田が出所してきたことに気づいたのか、白い息を吐きながら話しかけた。網走の冬は氷点下を下回ることが多くて、その息すら瞬間的に凍り付いていく様が、目に浮かぶようであった。
「人生、今からでもやり直しができますよ。まもなく電車が到着しますので支度を整えてください」
過去が消え去らないこととは異なり、息はすぐさま消えていった。
妙子とは沢田の若き頃の想い人であり、大事にしまった手紙というのは、彼女から定期的に送られてくるものであった。ある日を境に、突然、送られてこなくなったことに、沢田は妙子の身を案じ、胸を痛めていた。妙子の所在は転々としていたが、最後の手紙の住所は大阪の堺であり、このことが何を意味するかわからず、彼女に会えるだろうかと思った。
薄暗い古びた電車には、古い電球が天井からだらしなくぶら下がっていた。乗り込むと、車体がわずかに軋(きし)み、鉄のこだまが足元から響いてきた。窓に視線を移すと、寂しげに雪が静かに舞っているのが見えた。沢田が乗り込む前には吹雪のようにも思えたが、やわらいでいた。古く所々破れた座席に座ると、対面に一人の男性がいて、どこか遠い視線で沢田を見つめていた。
「あなたは一人ですか?」
車両には沢田だけしか乗っておらず、男性は唐突に聞いてきた。どうやら五十代のように見え、分厚い灰色の上着を着て、帽子を被り、古びたズボンを穿(は)いていた。痩せていて長身であり、痩せた頬が夕暮れの窓に沈んで見えた。男性は、さらに沢田に尋ねてきた。