壱─嘉靖十年、漁覇翁(イーバーウェン)のもとに投じ、初めて曹洛瑩(ツァオルオイン)にまみえるの事
(5)
「その仕事、じつは、前任者がいたのだ。どうなったか、きいてないか?」
「ぜんぜん」
予想に反してというか、いや予想どおりというべきか、湯祥恩(タンシィアンエン)はなにも伝えなかったようである。
「ここへ来て、どんな人に会った?」
「そうね……あの湯(タン)さんと、段(トゥアン)さんっての? 喧嘩になったら強そうな人。あと、下宿に案内してやるって言われて、そこのおかみさんみたいな人に会ったわ。そうそう、管姨(クァンイー)っていってたわね」
「それだけか? ボスの漁覇翁(イーバーウェン)には、会わなかったか?」
「イーパーウェン? それがいちばん偉い人なの? 見たことないわね。そんなに偉い人なら、あたしみたいな下ばたらきの前には、出てこないんじゃないの?」
「飛蝗(バッタ)みたいな少年が、うろうろしてなかったか?」
「うーん……いたかもしれないけど。でも、ふつう男の子って、そこらじゅうをうろうろするもんじゃない?」
気にしていないようである。
「ね、あたしが来るまえに、家畜の世話をする人がいたって言ったわね。どんな人だったの?」
「それはな……おっ」
子熊のような少年が、ひょいと顔をのぞかせた。
表情のないところは、前の飛蝗(バッタ)にそっくりである。そして、背後には段惇敬(トゥアンドゥンジン)。
「オイ、もう朝めしの時間になるぞ。ムダ口たたくヒマがあったら、さっさと持ち場へ行け。おくれたら屋台の損料も出ないぞ」
すぐさま正陽門へとむかったが、客足が一段落すると、仕事をする気もなくなってしまった。