中学生の頃からアメリカ留学に憧れて、昔の田舎の事とて限られた機会の中で必死にテレビやラジオで英会話を学んでいた姿をずっと見ていてくれた母が、一人息子のこんな贅沢のために厳しい家計の中から出してくれたその母親の心意気には今思い起こしてみても有難くて目頭が熱くなる。
それだけ、自分の将来に対する期待も大きかったのだろうが、果たしてそれに応えることはできたのか。
【空港】
1971年7月、羽田空港の出発ロビーは一緒の飛行機でアメリカに行く、母校の教授、同窓生、同級生、そして他の関係者、そして見送りの家族や友人でごった返していた。
一番のお洒落な服で見送りに来てくれた母や姉は、心配顔ながら、嬉しそうかつ誇らしげな表情だった。
自分はと言えば、初めての海外一人旅だというのに少しの心配も不安もなく、ただただ嬉しさで胸がはち切れそうだった。
以前から映画などで主人公が外国に旅立つ場面の格好良さに憧れたものだが、それをいま自分が演じているのだ。一度日本を離れれば日本語のまったく通じない世界である。
それでも、若さというものは素晴らしい。なぜなら、そんなことこそが嬉しくて仕方がないことだったのだから。

羽田にて:見送り家族