その時、私の心の内に、【欺(あざむ)かれた】という思いが植え付けられてしまったのです。

同時に、私の心は段々信仰から遠ざかっていきました。彼をも【信じることができない人】になっていきました。

思い返せば、昭和四十七年の五月一日。母の祥月命日でした。結婚の報告のため、母のお骨を納めていた富士の裾野にある日蓮正宗総本山大石寺を訪れた時のことです。

納骨堂に続く道の手前の川に架かる赤い欄干の橋の上から見た川の流れは、その前日の嵐のために真っ茶色に濁り増水して、その水量の荒ましさ、すごさ、川の流れに逆らうように大きな岩石の群れがゴロンゴロンと押し下るというのではなく、逆流しているように見える光景だったのです。いつもは清流の澄んだ流れです。その川が何ということでしょう!

私は、その時、心の奥のどこかで、私の将来を何か見透かすようだと、一瞬の思いが過ぎっ たことも事実です。忘れられません。

実は、彼はその信仰組織が大嫌いだったのです。彼の田舎で、子供の頃に出会ったその信仰組織の非常識な布教活動を、彼は目の当たりにして、その異様さが、子供ながらにも強烈に脳裏に刻まれていたのでしょう。

私と父が住んでいた地方でも、いろいろなご縁で段々広がっていきましたから、度々非常識 なことがあることを耳にするようになってはいました。事実、残念ながらそのような実態もあったのでしょう。異常な姿の方が加速し主体となっていったようです。

私がその信仰(組織)から離れていったのは、彼から反対されたからという理由付けをしていますが、その裏側には、私自身心の中でその組織から逃げたいという気持ちがあったのです。

もう一つ、飲んだくれの父からも逃げたい、離れたいという心のささやきがあったのかもしれません。現実から「逃げた」のです。現実を変えないで、「諦め」たのです。

その組織も始めは「宗門の教義を信奉する信仰を基にした信徒の組織」でした。まさに、凡夫である人間の作った組織です。