第一章 生い立ちの記
三 結婚
昭和四十六年九月転勤、東京で働くことになりました。その職場で、夫となる人との出会いがありました。彼は末子でとても親思いの人でした。特に母親への思いの深さには感心しました。母親がガンのため長くはないと知り、「母を安心させてやりたいから、結婚してほしい」と言います。
その頃の公務員の給料は安く(いざなぎ景気と言われた高度経済成長で民間企業は高額な賃金ベースでしたが、公務員のベースは低い)、昭和四十八年(一九七三年)の第一次オイルショックによるものでしたが、トイレットペーパー買いだめなどの混乱も生じ、景気は急速に冷え込んで行くのでした。
私は「貧乏を体験しており、田舎から出てきたばかりで、東京の垢がついていない人だから」と、彼は言うのでした。
「私なんかでももらってくれる人がいた」と信じられませんでした。「結婚してほしい」と言われた時の、私の心はどんなだったのでしょう、男の人とお付き合いもしたことのない娘です。
私は、彼と一緒に御本尊様を拝みたいと思いました。「私は信心しています。あなたも信心してくれますか」と話しましたが、「俺はやらないが、あんたがやることは構わない」と言ってくれました。その言葉を信じて、結婚することにしました。いとも簡単に決めてしまったのです。
知り合って一年もたたない昭和四十七年春、彼の田舎で結婚式を挙げたのです。私が家を出ると父は一人になります。弟は仕事の関係で家になかなか帰れないので、近くに住みたいと思いましたが、二カ月後、彼は転居を勝手に決めていました。
私を信仰組織から離すためだったのかもしれません。俗に言うように、「釣った魚に餌はやらない(付き合う段階では、相手の好きなものを与えるが、結婚すると全然与えない)」ということだったのでしょう。
「一切、信心の組織と関わるな!」と、彼から言い渡されたのでした。