芝 2011年
「馬鹿は風邪を引かない」ち●ま●子ちゃんで聞いたことわざを、馬鹿正直に信じていた小学生時代。
そのことわざ同様に、風邪らしい風邪を引かずに育ってきた私は、野球やサッカーをしてきても、怪我らしい怪我にも無縁で生きてきた。私にとって、病院に出向くことはハードルが高く、アカの他人の主治医に身体の症状を上手く説明出来るか不安でしかなかった。
タマチニスタの3周年が終わり、翌週、私は近所の大学病院の待合室で涼んでいた。
「ほーら」 節電といっても、電力が必要な施設に行けば涼めるもんだなぁ、病院関係者さんは羨ましいわー。
などと浮かれていた。
そうこうしてるうちに、名前が呼ばれる。
症状も症状だったので、何科に行くべきかが分からず、とりあえず外科医に診てもらうことにした。今までの症状を上手く説明できない私に代わり、マサミが一から全て説明してくれた。
若い担当医は、私の痩せ細った右手の甲を見て「確かに筋肉が減っているように見えますが、レントゲンでも異常が見られませんし、気の持ちようでは? ここの病院は神経内科がないので専門外です」などと話し始めた。
私とマサミは、気の持ちようなら、ここまで詳しく説明しないだろうと詰め寄り「ラチが明かないから、紹介状を書いてくれ」と頼んだ。
こうして私の人生で、ほぼほぼ初の医者との面談会話は「気の持ちよう」という適当な会話で幕を下ろすこととなり、病院や医者への不信感は倍増する結果となった。
すぐさま、マサミは自身の知り合いのツテを使ってくれて、都内の別の大学病院を紹介して頂き、そちらの神経内科で診てもらうことが出来た。
その大学病院の神経内科医は、もう70は超えているであろう老人であった。