老教授の最終講義
しかし、Aさんの話は、長くは聞けませんでした。Aさんの病状は確実に悪化していきました。口腔底がんから転移した左肺の腫瘍は容赦なくAさんの体力を奪い、私たちがAさんを訪問する頻度は増していきましたが、Aさんの話はだんだんと短くなりました。
私自身は診療に伺うというより、死の淵に立つ老教授の最期の講義を受けに通うといった感覚でした。やがてほぼ寝たきり状態となり、二階でひとり過ごすのは危険な状態となりました。
奥さんや息子さん夫婦が暮らす一階に下りて療養したらいかがですか……と幾度も勧めましたが、老教授は頑として聞き入れませんでした。最期まで自分のやりたいようにするという自己主張の強い方でしたので、ご家族も含め誰もが無理強いはしませんでした。
しかし、はからずもというか、私たちには都合がよいことに、二階のエアコンが突然故障したのです。魚たちはもう泳ぎませんでしたが、魚たちがAさんを家族のもとへ送り出したのかもしれません。
これを契機にAさんは一階の家族のもとで療養することとなりました。
けれども、このころから食事がしだいに摂れなくなり、呼吸苦が生じるようになりました。それでも私たちが帰るときは
「ありがとう」
と手を強く握ってくださいました。
大阪在住の三女さんが帰ってこられたころには、意識が混濁しはじめ、深夜まで看病したお嫁さんに代わって三女さんが徹夜で看病された日の朝に旅立たれました。
次回更新は7月6日(日)、21時の予定です。
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