昭和四十四年、夜の帰り道自転車に乗って、なだらかな坂道のカーブを走っていました。四トントラックがセンターラインを大幅に割り込んできて、ほぼ正面衝突に近い状態、その瞬間「御本尊様!」と心の中で叫び、そのまま意識不明になり、気づいた時は病院のベッドの上でした。
衝突して投げ出されたのですが、そのトラックの運転手さんが、近くの総合病院へ連れて行ってくれたのです。事故の状況は、運転手さんから、後で聞いたのですが、不思議にも、車道側ではなく道路脇の側溝に、足からスッポリはまる形で投げ出されたとのことでした。「御本尊様に護られいのちを助けていただいた」と、ありがたく功徳だと思いました。
相手のトラックの会社は職場へよく来ている会社でしたので、自動車賠償責任保険などの手続きは、その会社でしてくれ、煩わしい手続きは一切必要ありませんでした。
御本尊様を拝み信仰を持つことにより、凡人の自分では計り知れないのですが、その時々に守られ解決に導いていただけたのだと思います。
それらの中で、今思い起こせば、特に大きな功徳と感じていることは人間関係のことです。
幼い頃から人間関係の「不全感(注※)=諦めの心」に悩んでいた私が、誰とでも話ができるようになっていたことです。事故にあうことも何らかの原因があり、その結果として表れているのでしょう。人間には計り知れないし、目に見えません。頭では考え及ばないものであり、わからないものだと思います。