今日は孫が遅く帰るので食事の時間が遅れると言っても待ってはくれません。また親の食べたくないものが出されたら、何も言わず帰ってしまい、好きなものを自宅で食べています。そのうち一緒に食べるのは誕生日くらいしかなくなりました。

時間が経つと、干渉されるのも嫌になったのでしょう、あまり私たち家族のいる3階まで上がってこなくなりました。

まだ若かった私は、親が子供に気を使われるよりも、自立を好むということも知りませんでした。

また親は自分自身の生活に一切干渉されずにいるのが一番よいことだと考えており、子供に頼ろうとはまったく思っていなかったのです。

その後母親が膠原病にかかり、車椅子生活になりました。当然に父親から「これからは悪いが母の介護を手伝ってくれ」と言われるものと考えて、今度こそ私と元妻の協力が必要になるので、頑張ろうと考えていました。

ところが、過去に母親に迷惑ばかりかけていた父親が、それまでと同じように私たちに何も頼ることもせずに、母親の面倒をすべてみたのです。

これには私もびっくりし、人生は最後までトータルで考えないといけないと思いました。なぜなら父親は若い頃に、熱が出てふとんで横になり休んでいる母親を蹴っ飛ばし、飯を作れと言っていた人です。

ありえないと思いましたが、目の前の父親の母親に対する現実の行動を見て、父親が母親の面倒を最後まで一人でみるつもりだと理解しました。父親は、それから母親が72歳で亡くなるまで7年間すべての世話をしました。

また父親はナイトクラブで女性と遊ぶことと、一人で旅行に行くことが大好きでした。私には戦争で失った青春を取り戻しているのだと言って、夕方まで母親の世話をすると、週に数度は夜の街へ出かけ、なじみのクラブで遊んでいました。