しかし、手術が無事に終わり、病気を克服したら、これからも長い人生が続く。結果的にはこの歳でこのような経験ができるということは、きっと私にとって絶大な財産となるだろう。

癌になったにもかかわらず、私は街を歩く度に嘆いていた。なんて退屈なのだろうかと。それは札幌にいても富山にいても東京にいても同じだった。物凄くいい小説を読んだ時の達成感と満足感。そういうものをどうして街に感じることができないのだろうか。

「よし、さらに別の作品を読んでみよう」

そのような期待感をもっと日常の中に抱けないものだろうか。そりゃあそうかもしれない。人に使われ、限られた領域の中で生きていれば窮屈さを感じるのは当然かもしれない。しかし、一日中家にいて外の空気が吸いたくなるような気分を、街を歩きながら感じる。日本中どこへ行っても退屈なのだ。空気が美味しかったり、景色が鮮やかなのは一瞬だ。

恋愛とも似ているのかもしれない。すぐに飽きてしまう。こんなことを言っている私は何様なんだと自分で恥ずかしくなるが、これは事実なのだ。世の中を知りもしないくせにこんなものかと興ざめしてしまう自分がいる。

恐らく私は街に恋をしたいのだろう。飽くなき好奇心を掻き立ててくれるような生活を夢見ているのだろう。日々が探検であり、それがいつか安堵へ変わっていくような、そんなものを街に対しても求めている。こんなことを考えながら、また思い出すのだ。

あ、そういえば私は癌になったのだ、と。

もう終わるというものに対してはどこまでも貪欲になることができる。やってはいけませんよ、と言われれば言われるほど、やりたくて仕方がないものだ。そう考えると癌になったというのは、退屈だ、退屈だとほざいている私に対しての起爆剤だったのかもしれない。それにしてもこの仕打ちは少し厳しすぎるのではないだろうか。神様に対してそう思う。しかしもしかしたらこのくらいが丁度良かったのかもしれない。

最近、テレビでも話題になっているが、若い女性には子宮頸癌が多いのだそうだ。これまでの人生を振り返ると、この程度で良かったと思うことしかできない。ましてや早期発見というものは、きっと神様からのプレゼントだったと思う。それにしても、人生というものはめまぐるしく展開して行く。にもかかわらず、癌になって初めて気が付いた。どうしてこんなに退屈なのかと。

本連載は今回で最終回です。ご愛読ありがとうございました。

 

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