つまり精神的に自由に生きている人への果てしない憧れがある。それは人に対して無神経に生きている人という意味ではない。堂々と、臆することなく、伸び伸びと生きている人のことを指す。
そんな憧れから、私はロックを聴くようになったのだ。ジムモリソンが大好きで、あんな風になれたらどんなにいいだろうかと気の弱い私はいつも思っていた。時にジムモリソンのように自由奔放に振舞ってみたりする。しかし、何をするにも勇気を振り絞らなければならない。それは、本当の意味での自由ではないということに気が付いたのだ。
信頼関係においても同じことが言える。この人のことを頑張って信頼しよう、というのは本当の意味での信頼ではない。この人のことを好きになろうと努力するのは、本当の意味で好きだとは言えない。誰が何と言おうが疑いの心など持てないし、私はこの人が好きだと言える意志の強さに対して、素直に身を任せればいいのだ。
信じて裏切られることについても本来は怖いというのが当然だが、最近は怖いと思わなくなった。信頼が崩壊した時、明らかに喪失感に包まれる。しかし何故信じたかと考えると、どうしても疑うことができなかったからだ。
信頼していた人に何かのきっかけで裏切られたとしても、それも自然の流れなのではないだろうか。そこに喪失感がないといえば嘘になる。しかしその喪失感が怖いか、と聞かれれば怖くないと答える。
そう考えると心がとても楽になり、目の前に広がる世界が少しばかり開けて風が吹き抜ける。
疑いの心を持たずに信じるのは馬鹿だとされることについて長い間考えたが、それでいいんだと思った。自分と世間のギャップというものに直面すると喪失感に苛まれ、途方に暮れてしまい、この世の中で生きて行くことにさえ希望を見出せなくなってしまうのだが、ひたすら考えてある地点に到達した時にあるものがある。
それは風と光であって、自分の心の中にしかないのだ。
次回更新は7月2日(水)、21時の予定です。