母の臨終は、【第2回】で述べたように本当に心安らかに迎えられたのでした。その体験は今も私に生き方を教えてくれているように思います。

十歳で信心を始めた私は、父母と共に朝夕の勤行をして育ち、中学生になり、父がお酒を飲み酔いつぶれていても欠かさずに続け、子供ながらも勤行する意義と素晴らしさを、感じていたのでしょう。

小学校入学当時は、一人でお便所へも行けず友達とも話せない少女でしたが、中学時代には酔いつぶれた父に代わり、父の仕事(杞柳細工の買物籠などの製品を作っていました)を、納期に間に合わせるために夜なべや徹夜もする、ある面では逞しくなっていました。しかしながら、まだまだ自信がない私でした。

わが家の暮らしは苦しい状態が続きました。高校進学も迷いましたが、父は「高校は行きなさい」と言ってくれました。しかし、仕事を手伝いながらの受験勉強は殆どできず、模擬テストも良い成績ではなかったのです。

不思議にも本番の入学試験では、思いがけない成績で合格していたのです。それを知ったのは高校二年の初めでした。

家の経済状態を考え中退して東京へ出て働こうと、担任に相談した時、担任から「あなたは一番で入学したんですよ。実力があるのだからもったいない。育英資金を申請してあげるから続けなさい」と知らされたのでした。育英資金をお借りして、なんとか無事卒業まで漕ぎ着けることができたのです。