祖母は戦(いくさ)や武士の話をよくしてくれた。ひろしはあまり覚えていないが、戦で傷ついた兵士を敵味方分け隔てなく救護していたのが、のちの日本の赤十字社の礎になったという話は心に残っていた。
「武士道とは、戦を勝ち抜くことが目的ではなく、自らの道を全うするためのものです。戦わずして勝ち抜くことが一番と、兵法も教えています」とも言っていた。
あぜ道の左右に蓮花(れんげ)の花が続いている。その向こうには所々に蓮花畑や麦畑、そしてその向こうには銀嶺(ぎんれい)の山々が遥かに霞んで見える。
山並みの方へ歩いているのだが、いつ目的地に着くのやら、そもそもその目的地があるのやら……
この日は、幼稚園の遠足だった。遠い山々から吹いてくる穏やかなそよ風は、ひろしと一緒にいる少女の髪を揺らしていた。
弁当はおにぎりとゆでたまご、バナナにチョコレートとキャラメル、水筒にはお茶が入っていた。川の土手はゆるやかに続き、たんぽぽの花があちこちに咲いている。
少女はリサだった。黄色いリボンをしていた。大きな黒い瞳で、ときどきひろしを見つめてくれた。
わくらばを浮かべて川は静かに流れていた。その川の土手を歩いて、幼稚園の皆のところへ戻ろうと歩いていると、突然ひろしと同じような年齢の集団が目の前に現れた。雲雀の鳴き声が青空高くに広がっている。
ひろしはリサの手を引いて逃げた。早くは逃げられない。6、7人の集団が追いかけてくる。ひろしは足を早めようと焦るが、足は思うように動かない。手を引いてるリサが怖がってその場にしゃがんでしまった。
ひろしがそのまま、一人で逃げようか、どうしようかと立ちすくんだとき、集団に追いつかれた。
そこで、目が覚めた。
寝汗をかいていて、後味の悪い気持ちだけが残った。たとえ夢の中の出来事だとしても、少女を見捨てて逃げようとした自分は元来そういう奴なのだと、自分のことを思い知らされた。
ひろしは小学校2、3年の頃まで、ラジオから流れていた「サっちゃん」の歌が頭から離れなかった。あどけない早川リサの姿が心残りだったのだろう。
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