タコが奏でる雑音をBGMに、食事を作って片づけて、子どもたちとお風呂に入って、約束した絵本を読んで。やっと1日が終わる。自分の時間なんて水平線の最果ての果て。仕方がない、私は母親なのだ。
パートに出る際、夫に家のことは疎かにしないと約束をした。私は、働かせてもらっている。専業主婦からは卒業したかった。条件つきでも外に出られるならそれで良かった。
「許してやっている」。だからこそ意地になる。意地になったところで、両立できる能力が明らかに足りないけれども。
職場で愚痴を零すと、「旦那さんに手伝ってもらえばいいじゃないの、要領悪いわね」と笑われる。でも、約束が守れないなら、権利は主張できないと言ってみる。それにうちは昭和なのだ。
家長制度で封建制度だ。私、母親だし、大人だし、仕事だし。「信じられない、だって文句言われる筋合いないじゃないの」。悪気のない慰めを受けるたび、心が悲鳴を上げる。誰のためなのかもわからない言い訳で、心が軋んでいく。
変わっていると言われても、いたって普通に生きてきた。力がないなら、時間がかかるのは当たり前だと思う。だから、できる努力は惜しみたくない。落ち度はないと思いながら、いつだってグラグラしている。
……伝えたって無駄。正論で返り討ちにされるだけ。不毛なやり取りは、時間を無駄にするだけ。気持ちだって、思いだって、私なりのルールだって、結果が出なければ価値がない。見返したければ結果を出せ。できないのなら言い訳するな。軋んだカタマリが私を締め付ける。
……すごく疲れる。考えてみれば、私のやることはいつだって意味がない。意味がないなら考える必要はない。余計なことは考えるな。仕事が終われば帰れるし、時間があれば家事ができる。ただそれだけのこと。
だったら、ひとつひとつ決着つけていくしかない。過ぎていくだけ。流れていくだけ。ひとつひとつに価値をつけたいなんて考えは、自己満足でしかない。望んでしまう私の心が間違いなのだ。
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