そんなてるは、私にとっての親友であり唯一の理解者でした。いつもどんな時も味方でした。幼稚園時のエピソードですが、てると離れるのが嫌で幼稚園のスクールバスに乗れず、無理やり乗せられても泣きっぱなしでした。超人見知りで同世代の子と遊んだこともなく、昼のお弁当はおばあちゃんみたいな園長先生といつも食べていたようです。
明治生まれで贅沢は敵といった考えで、自分自身の苦労からかお金は少しでも貯金しなさいが口癖でした。肉じゃがは糸コンニャクに人参玉ねぎで肉なし、お腹が空いたらキャベツの千切りを八丁味噌で、湯がいたトウモロコシや枝豆がお菓子がわり、トマトやスイカやイチゴは砂糖をかけて、おかげで今でも甘党でお肉よりサラダが大好きです。
高校は自転車通学でしたが雨の日も風の日も毎日自転車に荷物を絡げるのは、てるの仕事でした。てるの「きょうつけて、いってりゃーよ」の元気な声に、「はーい! いってきまーす」と応えるのが日常でした。
そんな明治生まれの間違ったことが嫌いで勝気なてるに育てられていたので人一倍正義感が強くなっていました。高校開校10周年には生徒会長として、たとえ一人だけでも高校の周辺のゴミ掃除やどぶ掃除をしているような高校生でした。