プロローグ
よく、最近の流行り言葉の一つに「寄り添う」なんてのがある。
地震などの被災地に、総理や担当大臣が赴き、原稿を棒読みで「寄り添う」などと言う。
前から思っていたことだけれど、こういった連中のおかげで、世間で使われる言葉の重みがどんどん軽くなっていく。
「寄り添う」という行為は、ただ上から目線で同情することではない。
戦後から80年近くも経っているのに、未だに敗戦の負け犬根性から抜け出せていない日本人ばかりなら、米軍からもらったチョコレートをありがたがる子供のように、十分にありがたいのかもしれないが。
そんな卑屈な精神に侵されていない、本当の心の叫びには、そんな安っぽい「寄り添い」は全く呼応しない。
表題のように、僕は、自身の資金トータル1000万円をFXで溶かし、その後、呆然自失の中、ただただ現実逃避を兼ね、いわゆる韓流ドラマにハマってしまった(苦笑)。
その韓ドラの一つ、『マイ・ディア・ミスター~私のおじさん~』の中でのワンシーン。
ジアンの祖母が亡くなり、そのみすぼらしい葬儀に、しがない清掃員として働いているサンフンが、なけなしの金をはたいて沢山の花環を飾り、地元の知人を呼びつける。
弟のドンフンから「明日からまた無一文だぞ」と言われたサンフンは「いいさ、今のこの気持ちは誰にもわかるまい」と言ってのける。
このシーンを見た時、ついこの間、FXでトータル1000万円も溶かしたというのに、まるで背中に電撃が走ったように気力がふつふつとみなぎり……といった感じにはなっていないけれど、まあ、人が人に寄り添うというのは、本当はこういうことだよなあ、とじんわり悟ることができた。
SNSなど、個人としてメディアに発信するものは、いまさら言うまでもなく全ての人に、納得・共感してもらうことは不可能だ。
ましてやこれから僕が述べたい事柄は、FXに大なり小なり関わっている人(FXでかなり儲けを出し続けている人、いや、負けてばかりで撤退を余儀なくされている人にでさえ)に対し、もしかしたら共感はほど遠いものになるのかもしれないが。
別に生まれ変わりを信じているわけではないけれど、もし、またこの世の中に自分が生まれ出たとして、「僕」がこれを読んだら、少なくとも同じ轍を踏まずに生きることができるように、書き連ねてみたいと思う。
それはどういうものか。
ズバリ、FXにこれから関わろうとしている初心者が、始める前に必ず知っておかなければいけないこと。
では、これから来世の自分に「寄り添って」述べてみることにする。