【前回の記事を読む】私は先ほど生まれた感情を恋心と呼ぶことにした――田所と名乗る大学院生は声が小さく、猫背で、頼りなく。しかしその唇にだけは…
同じ名前の鳥が鳴く
田所さんの最低限のプロフィールは何をしなくても自然に入手することができた。面積はあるがワンフロアの店内で、従業員数もあまり多くない。そしてただでさえ女性の割合が高い職場ゆえ、久しぶりに現れた若い男性というだけで、皆の興味は素早く彼に向けられていった。
しかし当の本人はどんな質問にも簡潔に答えるだけで、そこから先の会話を進んで広げようとはしなかった。それでも彼の仕事覚えの良さや細やかな所作、寡黙ながら柔らかさを与える雰囲気のおかげで、彼を悪く言う者はいなかった。
「青木さんって恋人とかいるんですか?」
閉店作業も終盤に差し掛かった店内に田所さんの声だけが響いたとき、私はとても驚いた。業務連絡を除いて初めて彼から発せられた問いは私の心を鼓舞させ、期待の念を抱かせた。
学部生と院生という違いはあるものの、同じ学生ということでシフトの時間帯が同じになることが多く、彼の研修バッジが外れるとふたりだけで閉店業務をすることも増えた。その頃から次第に彼が放つ個性的な静寂と遠慮は、私の前では他の人といるときより幾分か和らいでいるように思えた。
「いないですよ、もう一年半くらい」
逸る気持ちをできるだけ抑えてゆっくり返事をする。私の答えに、そうなんですか意外です、と彼は目を合わせぬまま笑みをこぼした。
続きの言葉を選びあぐねているのか、棚のほこり取りを同じ箇所で行ったり来たりさせている。田所さんから伝わってくる緊張感は初めて会ったときに感じたものとは別の種類で、私は妙な優越感に満たされた。
「もしよかったら付き合ってくれませんか、僕と」
結局、彼が会話を再開したのは店から駅までの途中だった。いつもは打刻を終えると真っ先に、お先に失礼します、の一言を残して帰るくせに、その日は携帯を見たりシフト表を眺めたりと、私が靴を履き替えてかばんを持つタイミングを見計らっているようだった。