あなた方の中には、働き過ぎて、過労死で亡くなった者もいる。あるいは、精神を患い自分で命を絶った人もいる。

かつて団塊の世代の多くの学生たちは、自らの理想とする戦後の日本の教育制度と、新しく改革され創生される日本を、後継者に引き継ぐべく学生運動を起こし、行動した。

当初、学生運動の動機は、大学や政府などの外部勢力の干渉を受けない「学問の自由」を守るための学生主体の自治を確立することと、大学運営の透明性や、旧態然とした教授会の体質改善、教育環境の改革を強く求めることにあった。

学問、研究の自由を基盤に、社会体制の矛盾や、社会問題、政治問題に対しての問題提起をしたが時間が経過するに従い、理想とする教育改革の方向性と目指す教育の最終的目標が異なるという思考的乖離と、矛盾が浮き彫りになった。

その結果、方向性と最終目的を解決する明確な道筋を示すことができず、新しい学生運動は迷走しながら展開されていった。

彼らは「戦争を二度と繰り返さない」ための平和運動と、反戦運動に取り組み「自主独立」「反資本主義」「反帝国主義」を掲げてデモや抗議活動を展開したが、外部やあるいは内部勢力によって計画され、誘導され、先導される中で、運動は方向性を見失い迷走し挫折していった。

しかし、彼らは、高校、大学を卒業した後、教育改革と社会を変革するために、反旗を翻したという行動と、改革が失敗し、変革できなかったことへの精神的な呵責を抱きながら、入社試験では何もなかったように社風に迎合する模範回答を用意し、採用され、企業社会に潤滑剤の如く自然に溶け込み、戦後の資本主義経済の体制の中に、機械の歯車の一部として組み込まれ、順応し馴染んでいったのだ。

学生運動の中で、若くして道半ばに夭折した人々もいた。彼らは、何のために行動し、何のために死んでいったのか! あのパワーで、日本を変えようとし、理想的な国づくりを目指し行動し闘ったあなた方は、現在、評価の対象にもならず、役割を終えた厄介者、あるいは過去の遺物として葬られ、何も期待されず放置されている。