いつかの記憶が、頭の中で蘇る。母さん、なんだか怖くてさ、調べてないんだ。意味を調べたら、もっと鮮明にあの時の記憶が、母さんの痩せ細った体が、いろんな思い出したくない記憶が、一緒に掘り起こされてしまいそうだから。
撫子の花は、向かいの患者のご家族が生けた花だった。その花を目と頭で記憶し、ある日僕は撫子の絵を描き上げた。母は涙を流すほどに喜んだ。それだけで満足だったけれど、その絵はあっという間に病院中の噂の種となり、高揚した祖母の協力もあって、撫子の絵はコンクールに出品された。後は先述した通り、賞を多く取り、母が亡くなってから、全く絵を描かなくなった今に至る。
祖母は淋しげな面持ちで力なく呟いた。「そうかい」と。
「ああ颯斗。卒業式だから、今日だけはちゃんと制服はピシッとしなつまらんで」
「わかってるよ。でもほんとに苦手なんだよね。特にループタイ。そもそもこの時代にループタイって気乗りしないし、あんな首を締め付けられる行為を自らに課すなんて、正気の沙汰とは思えないね」
「はっは! 面白い言い回しをしよる」
祖母は豪快に笑った。
「高校はネクタイ必須みたいだから、もしかしたら先生からネクタイの締め方で、注意の電話くるかも。だから、ばあちゃんには迷惑かけるかもしれない。先に謝っとく」
祖母はまだ大笑いを続けている。
「その時は啖呵切ったるわ。それが孫のいい個性なんだって」
「何だそれ。孫も孫なら、祖母も祖母だなって呆れられるよ」
すっかり上機嫌になった祖母に味噌汁のお礼を言ってから、僕は部屋に戻って支度をした。 卒業式という飾りを得た学校への道は、日々の情景とやや違った。かといって僕の心が晴れやかになったり、一挙手一投足が変化することはないけれど。
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