「チエちゃん、今日は休みなの?」
「チエちゃんは町内会の配給の仕事で早退したの」
と朋の質問にヤッチンが教えてくれた。
「チエちゃんが町内会の仕事をしているの?」
「チエちゃんはお父さんが亡くなっていて、お母さんと二人きりなのよ。お母さんは時々夜勤もあるから、チエちゃんが家の仕事や、町内会の仕事をやらないといけないときがあるの」
「へぇーそうなの。お父さんが亡くなったって、戦争で?」
「ううん、胸の病気だったんだって。チエちゃんが三歳のときって言っていたわ」
「へぇー、そうなの」
「たった一人のお兄さんは、海軍で戦闘機に乗っているんだって。それも、チエちゃんを女学校に入れたくて飛行機乗りになったって言っていたわ」
「へぇー、そうなの」
チエちゃんがそんな苦労をしているなんて知らなかった。朋はヤッチンが話してくれる一つ一つに驚いて、ただ「へぇー、そうなの」しか言えなかった。チエちゃんはそんな苦労をしながら頑張っているのに、初めての全体練習で怖いような気持ちになり、何も苦労をしていない自分が恥ずかしかった。
たしかに朋は苦労をしていなかったと思う。家は裕福ではなかったが生活には困らなかったし、女学校にも行かせてもらえたし、父は徴兵の年齢を過ぎていたから兵隊に取られる心配はなかったし、家族は全員健康だったし。
ただ、以前に母が国防婦人会のひとに「お宅は娘さん一人なのですか? 男の子供を作ってお国に奉公しなくていいのですか?」と言われて、「大きなお世話よ」と怒っていたのを横で聞いた時から「男の兄弟の分まで私が頑張らなければ」と思っていることが、苦労と言えば苦労だった。
朋には、合唱の何もかもが新しい経験だった。ある日、武田宇作(たけだうさく)の合唱曲『秋のさゝやき』を練習した。最近は取り上げられることが少なく、二、三年生も自信がある曲ではない。だから、みんなが恐る恐るで歌が合わない、と朋は感じながら歌っていたが、佐々木先生は途中で止めると、
「君たちはこの曲にどんな色を想い描いて歌っているのかな?」
「色ですか?」
サエさんが先生に聞き返した。
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