逆三角形型レポート(最も重要なことや結論を頭にもって行き後は内容を掘り下げながら説明を加えて行く書き方)、4W(Who, What, When, Where)と1H(How)は必修事項。ニュースは、客観的に報道すべきであることを繰り返し繰り返し言われた。
これに比べ、現在(2020年)の所謂ジャーナリスト達は、主観的な報道やフェイク・ニュースを書きまくっている。アメリカのジャーナリズムは、死んだ。
私の住まいは、煉瓦造りの古い3階建てのタウンハウス。ボストン大学を貫くコモンウェルス・アヴェニューから徒歩10 分という便利なところに位置する。ここは、男性禁止のシェアハウスで、常時7~8人の女学生が住んでいた。私がいた時は、アメリカ人3名、タイ人1名、イラン人2名、日本人は私を含めて2名と、国際色豊かなシェアハウスだった。
私は、2年目に大学の図書館でID(身分証明書)チェックのアルバイトをしたこと以外には仕事はせず、勉強に打ち込んだ。
そんな中での唯一の楽しみは、マクロ・エコノミクスのクラスで友達になったベトナム人の女の子ヴィーと、ダウンタウンにあるファイリーンズデパートの地下で値引きされた服を買いに行くことだった。
ここでは、日が経つごとに値引き額がどんどん増える。そこで買いたい服を見つけたら、それが売れてしまわないことを祈って待つと、75 ~ 80%の値引き額で買うことができるのだ。
因みにヴィーは、ベトナム戦争後にお姉さん家族と従兄弟と一緒にベトナムからボートで逃げ出した、所謂ベトナムのボート難民だ。両親は、高齢の為ベトナムに残ったそうだ。
ヴィーは、大学から徒歩30分ぐらいのブルックラインにある古い木造建築の2階に、お姉さん家族と従兄と一緒に住んでいた。とても気さくな家族で、遊びに行くと必ずご飯を食べて行きなさいと言って、ベトナムの家庭料理をごちそうしてくれた。ヴィーはボストン大学卒業後、会計士の資格を取りボストン市役所で働くことになった。
私は夏休みも返上して夏期講習を受け単位を取りまくったお蔭で、3年目の春にはインターンシップを残して全ての科目を取り終えた。
SPCのカウンセラーと相談の上、インターンシップは、首都ワシントンにあるナショナル・ジャーナリズムセンターで行い、全て単位を取り終えた私は予定通り3年間でジャーナリズム科の学士号を取得した。更に、Summa Cum Laudeという成績最優秀賞を獲得して卒業することができた。
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