結局、私がこの子にしたのは、養育指導とは名ばかりの一方的な躾(しつけ)まがいの関わりだったと気づかされました。子どもたちの反抗的な態度には、威圧的な指導で大人の都合を押し付けたこともありました。

子どもたちを正座させて、長々と説教したこともあります。手を出したこともあります。時には、そんな子どもへの対応を反省したこともあります。仕事の重圧や、長時間子どもたちと生活することが、私にはストレスになっていたことも隠せません。

しかし、それもこれも全部言い訳です。言い訳にしか思えなかったのです。中学生の自殺未遂でも、幼い子が必死に訴える姿から緊急事態を受け止めることさえできなかったのです。もし、あの時あの子が私を呼ぶのをあきらめてしまっていたらと思うと、恐ろしくなります。

私は単純に子どもが好きでした。この仕事に巡り合えた時、やっとやりたいことが見つかったと嬉しかったことを忘れません。児童福祉というフィールドで、子どもたちと共に理想を探したいと考えていました。

それなのに私がしてきたことは、子どもたちを大人の都合に閉じ込めることだったと思い知らされました。

私は子どもたちの気持ちを受け止め、考え、一緒に生活を豊かに作り上げ、楽しく暮らしていくことさえできなかったのです。子どもに携わる大人として最低限のことさえできなかったのです。家庭を失った子どもたちに、安心して過ごせる施設という場所さえも作れなかったのです。

そして、その時の私に決定的な問題だったのは、もう一度この仕事に立ち向かい、そのことを乗り越えていく覚悟が明らかに欠けていると気づいたことでした。取り戻す力も出てきません。

そんな曖昧なままでは、一時たりとも子どもたちと一緒にいるべきではないと、強く自分を責める日が続きました。

いつしか寮長とも考えが合わなくなり、退職することを決めました。寮長は私の間違いに気づかせようとしていましたが、私は自分しか見えなくなっていました。

次回更新は4月9日(水)、7時の予定です。

 

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