第五章 政治家を志す
桐陽学園の理事でもある箱根の実業家は、国会議員や経営者の子女も多く参加する神奈川フォーラムに渉太郎を推薦したのである。
時の森永総理は国民の信頼をすでに失っており、与党内からも倒閣運動が巻き起こるなど、ガバナンスのまったく効かない政権運営を強いられていた。
当然のことながら、翌年に実施される参議院選挙の趨勢に暗雲が立ち込めていた。
永田町の風を読んで、民自党神奈川県連合会では次期参議院選挙には政治色に染まっていない新進気鋭の人材発掘が喫緊の課題とされた。
教育界のみならず神奈川県政界の策動家としての重みを増してきた大川昇一にも当然のように候補者推薦の打診があった。
森永総理大臣は、桐陽学園が日の出の勢いで進学校としての隆盛を極めようとしていた頃、文部大臣に就いていた。中央教育審議会での大川の発言にアレルギーを持っていた。
そのこともあり、教育界での重要ポストを、大川には宛がわなかった。大川は失意の底に沈み、桐陽学園の東大進学率と独自の教育によって、自分を張って生きてきた。
新人の発掘は千載一遇の意趣返しの機会となると密かにほくそ笑んだ。ある日、大川昇一から、
「神奈川フォーラムでの君の熱心な勉強ぶりは事務局の伊東君からも聞いている」
大川は渉太郎の熱心さだけでなく、大手企業から政治家に転身しても活躍できる伸びしろに、大きな期待を寄せていた。
「どうだ。出てみる気はあるかね」
大川は幸田渉太郎の顔をじっと見ていた。
「大川先生の教えを世に広めることができるのであれば」
渉太郎は大川の瞳に吸い込まれるように答えた。
「フォーラムからこれといった人物をどうしても出したい。出る気はあるんだね」
と、真顔で念を押された。
自分には勇気だけがひとつに余るほどあるように感じた。予期しなかった将来を想像すると、めまいにも似た陶然とした歓喜と、一方で未知の世界への底知れぬ不安が渉太郎を捕えた。
「大神会長に君のことを話したことがあったなぁ」
と、目を細めて言われた。
渉太郎ははっとした。事業部で地道にコツコツと製品関係の仕事のみに専念していた自分が、なんの前触れもなくいきなり大神会長の秘書に抜擢された、あの人事異動の理由を理解した。
神奈川フォーラムで政治、経済、国際、防衛や教育問題を学ぶ中で、
「国家の目的は、常に国の発展と国民多数の福利を捗らすことに努めることである。国民の意志の集合したものが、国家の意志となり、国民がこれだと思うことを実現するのが政治家には必要である」ことに共鳴し、家族に相談することなく、大川先生に慫慂(しょうよう)されるままに出馬を決意した。