1) 中世の矢作川河口は、現在の吉良町(西尾市)にあった。慶長十年(一六〇五年)家康は、矢作川流域の水害を防ぐため幕府直轄事業として現在の安城市南部を掘り割りし、碧南市方面へ流路を変えている。
2) 足利一門の中でも名門中の名門といわれ、分家の今川氏とともに足利将軍家に最も近い一族であった。
3) 尾張国と三河国の間を流れ、戦国時代は、この川の周辺で織田・水野勢と今川・松平勢の戦が繰り返された。
4) 片山家が書き残した文書を本書では『片山家文書』とする。現在同文書は、片山家菩提寺である道智山遍照院(碧南市)所蔵となっている。江戸時代初期から明治中期までの三百点(目録通番)ほどの史資料である。
【イチオシ記事】あの人は私を磔にして喜んでいた。私もそれをされて喜んでいた。初めて体を滅茶苦茶にされたときのように、体の奥底がさっきよりも熱くなった。
【注目記事】急激に進行する病状。1時間前まで自力でベッドに移れていたのに、両腕はゴムのように手応えがなくなってしまった。