「いいの。お仕事お疲れさま」
心底悔しそうにする伸親ににっこり笑ってみせると、「それほどでもないよ」と、途端に鼻歌でも歌いだしそうな顔になった。警察官らしい真っ直ぐな正義感と、愛すべき単純さ。伸親はなにからなにまで分かりやすい。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
新婚の時から変わらない習慣。玄関先でバリトンボイスを張り上げ、腰を屈める伸親の頰に、背伸びでキスをして送り出す。
「あっ」
数歩進んだところで、伸親が声を上げて立ち止まった。
「どうしたの?」
「いや、ほら玄関先にまた」
伸親がしかめ面でエントランスを指さす。フンが落ちていた。大きさからして小型犬だ。
「あら、ほんと。昨日の昼間はなかったんだけど。きっと夜中に散歩してるのね」
「まったく、マナーがなってない飼い主だな」
「いいから行かないと、遅刻しちゃうわよ。私が片づけるから」
「ごめんね、雪ちゃん。行ってきます」
「いってらっしゃい」
心底申し訳なさそうにする伸親を見送ると、雪子はさっそく庭に穴を掘ってフンを埋めた。
伸親には黙っていたが、犬はトイプードルで、飼い主はポニーテールに尖った爪をした若い女だ。どうやら人の家の玄関先を公衆トイレと勘違いしているらしい。散歩用グッズも持たずスマホ片手にいつも夜中にやってきては、三日に一度くらいの割合でフンを落としていく。立ち止まって大声で長電話していくこともしばしばだ。
次回更新は1月26日(日)、22時の予定です。
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