おじさんはゆらゆらと揺れながらゆっくり近づいてくる。いや、おじさんじゃない。この人を知っている。優一郎(ゆういちろう)さんだ。
名前を呼ぼうと口を開く。窓の外はいつの間にか真っ赤に染まっていた。
どこかでベルが鳴っている。けたたましい音だ。
目を開けると白い朝日が差し込んでいた。隣では夫の真田伸親(さなだのぶちか)が呑気な寝息を立てている。雪子は手探りで目覚まし時計を止めると、ベッドの中で小さく伸びをした。
少し前まで朝方は肌寒いくらいだったのに、いつの間にか夏の気配がちらついている。
夏のいいところは布団の中が名残惜しくないことだ。微睡もせずさっさと起き上がり、白湯でピルを飲んでから朝食の準備に取りかかる。
ちょうど卵が焼けたところで、伸親が大きなあくびをしながら起きてきた。
「おはよう、雪ちゃん」
「おはよう、伸親さん」
「今朝も可愛いね」
結婚二年目になるというのに飽きもせず頰を緩める伸親に微笑み返すと、雪子はサラダを添えた皿に半熟のハムエッグを滑らせ、焼き立てのトーストを出した。
「家事も完璧だ」
丁寧に手を合わせ、伸親がトーストに手を伸ばす。
大きな体にふさわしい大きな手。太くて長い薬指には、プラチナの結婚指輪がはまっている。雪子の指にあるのとはちがい、ダイヤがついていないシンプルな指輪だ。仕事の時も外さないから、細かな傷が目立つ。雪子は外したらと勧めているが、拘りがあるらしく、よほどのことでもない限りははめたまま出勤する。
「いい天気だな。せっかくの日曜日なのに仕事でごめん」