斎藤さんの性格もあると思いますが、このキッチリとした計画や実行力は、現役時代に公認会計士として活躍された「仕事のスタイル」が、老人ホームでの生活にも反映されているのではないかと私は思いました。

もちろん私も施設長として、斎藤さんの考え方、計画に沿うよう努力もしました。しかし、老人ホームという集団生活の特性上、その希望が全て叶ったかといえば、自ずと限界もあったのも事実です。

その中でも、特にリハビリテーションに対する計画や実行については、それこそ執念に近いようなものを感じました。

斎藤さんは、理学療法士と打合せした計画に基づき、毎日、しっかりとリハビリテーションを行っていく。歩行時間や歩行距離等々をしっかりと確認しながら、それこそひとつひとつです。

もちろん、リハビリテーションの成果はすぐに出るものではありません。斎藤さんは歩行訓練が思い通りに行かないと、涙を流しながらすごく悔しがり、それでも繰り返し、繰り返し、愚直にリハビリテーションを行うのでした。

ある日、斎藤さんが機能訓練室で、理学療法士と一生懸命リハビリテーションを行う姿を私はそっと後ろから見ていました。すると斎藤さん、私に向かって、それこそ満面の笑みで両手を大きく広げポーズを取ってくれました。

斎藤さんから言葉はありません。

でも、私には「やった、やっとできた」という意味が分かりました。

私は、斎藤さんに駆け寄り「やりましたね、すごいです」と声を掛けました。

私は、リハビリテーションに対する考え方、価値観は人それぞれあるのだと思います。また、リハビリテーションを行ううえで、その効果を測定する意味からも、数値的な目標、結果も当然必要でしょう。

しかし、先ほどの斎藤さんの気持ちこそが、リハビリテーションから得られる一番大きな成果なのではないかと思えます。肉体的にいえば、リハビリテーションを行うことにより現存する機能を維持、改善すること。

そして精神的には、リハビリテーションを行うことにより、目標をクリアした達成感や前向きな気概、自分らしく生きる支えとなるのではないでしょうか。 

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