「ですが、京都はこの十四年来戦乱もなく天下は泰平だと皆が申しております」

「今の所、管領の細川頼之が上手くやってくれているからな。しかし、いつまでもこの状態が続く訳では無い。いつかはわしが自分で、南北朝に決着をつけ、反抗する者を全て無くし、争いの無い世にしようと思っておる。

そちには分からないかもしれないが、わしにはそんな未来が見える様な気がするのじゃ。明国人も羨む様な、平和で豊かな美しい京都の町、そちが昨日より更に完璧な能を演じ、わしは何千もの民と共にそれを見ている」

それは世阿弥は勿論、当時の誰もが実現するとは思わなかった様な、気宇壮大な夢物語であった。

帰り際に碁盤や最新流行の派手な扇子など、様々な贈り物を受け取った世阿弥は、輿の中で物思いに耽った。目を閉じると自分だけを見つめる将軍の大きな目が浮かんだ。

「上様はとてつも無く大きな夢を持ったお方だが、何と気さくに話してくれた事だろう。まるで友の様に。ひょっとして本当に友だと思って下さったのだろうか」

淡い期待に身を委ねかけて、慌てて首を振った。

「まさか、そんな事がある筈は無い。もう二度とお呼びは掛からないだろう。上様は俺の事など忘れてしまわれるだろう。だが、俺はこの日の事を決して生涯忘れないだろう。紅の、初花染めの色深く、思ひし心われ忘れやも……」

一方の義満は、聡明な世阿弥との打てば響く様な会話に、すっかり満足した。日頃話す相手は父親の様な年齢ばかり。自分より年下でかくも身分の違う男と、これ程自然な会話をしたのは生まれて初めての経験であった。

何しろ生まれた時から将軍と成る事が決まっていたので、誰も対等に話そうとしなかったし、本人も幼少の頃から誰に教わる事なく、将軍然としていた。

六歳の頃、摂津の琵琶塚という景勝地を通りかかった時、その景色の美しさが気に入り、左右の者に「切り取って持って帰れ」と命じた程である。

それに加えて、離反、寝返りが日常茶飯の南北朝時代の事、誰も本当に信用が出来無いから友達など出来ようが無かった。

しかし、世阿弥は一介の能楽師、政治とは全く関わり無いから心を許せる様な気がした(実際そうでない事が分かったのは数年後の事だった)。

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