加藤さんが住宅で生活した間の一番の悲しみは、仲のよかったえりちゃんとの別れでした。昨日の夕飯までいつものように話していたのにもかかわらず、亡くなったことを翌日伝えると、
「食堂に来ないなぁと思ったら、亡くなっていたんだね。あまり苦しまなかったのならそれでよかった。私も彼女のように、具合が悪くなったら1日で死にたい」と寂しげな表情で、何度も話されました。
3か月後、重症大動脈弁狭窄症であった加藤さんの最期の苦しみはとても強いものでした。断続的にくる胸痛の為、「苦しい、苦しい。心臓が痛い」と繰り返されました。
その都度、狭心症のニトロペンを舌下すると3〜4時間は一時しのぎにはなりますが、すぐに痛くなってしまいます。何度も強い胸痛に襲われました。
「苦しい」との訴えがあるたびに、医師も看護師も入院を勧めましたが、加藤さんは両手を後ろにしてベッドをしっかりつかみ、「絶対に入院は嫌!」と言い切りました。
そして、襲いくる胸痛の合間にシャワー浴で体をきれいにし、コーヒータイムもいつも通りに楽しまれました。
胸痛の間隔がどんどん短くなり、いよいよその日、絶え間なく苦しんだのは、夕方から夜半にかけての数時間でした。
大動脈弁狭窄症による狭心痛と心不全による循環不全は麻薬系鎮痛剤、非麻薬系鎮痛剤で循環抑制や呼吸抑制をきたし、余命を縮める恐れがあります。
非常に使用がためらわれ、ご家族とご本人との相談の元、慎重に決めた投与方針で対応しました。看護師と介護士が付き添い、背中をさすりながら看取らせていただきました。
意志が強く、優しく、透明な心をもっていた加藤さんと、この美しが丘住宅で共に過ごす時間が持てたことを、幸せに思います。
(以上、諏訪看護部長の思い出より)
私はよくお庭の話をしたことを思い出します。中庭の中央に自生していた大きな八重桜があります。5月の中旬に満開になると入居者さんはみんな大喜びです。
加藤さんも「見て! 桜が満開! 私の眼の前でこんな立派なお花見ができて幸せ」と喜ばれていました。
また、別な日には「先生、私は毎日この庭を見るのが大好き。昔函館に住んでいた自宅には綺麗な庭があったの。毎日、庭を見ながら、その頃を思い出すの」とおっしゃられていました。
加藤さんは父の代から糖尿病でかかっていただいて、骨粗鬆症で腰痛に苦しみ、重症大動脈弁狭窄症を併発され、いよいよ人生の最終段階という時間を「美しが丘」で過ごされました。
毎日、お庭のうつろいを楽しそうに教えてくれて、最期を私たちにお任せされ、大変光栄なことでした。
【前回の記事を読む】終末期に医師に求められるものとは―治療よりも「看護」であり「介護」なのかもしれない
次回更新は12月25日(水)、20時の予定です。
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