僕はその間、部屋の中を穴持たずの熊のように歩き回って返信を待っていたが、とうとうその行動が馬鹿らしくなって電話をかけた。名前横の受話器マークを押してしばらく、軽快な呼び出し音が耳に響いた。
コール、コール、コール、コール、コール。
出ない。
サイレントにしてるな。
僕は少し前の事を思い出した。いくら電話を鳴らしても繋がらず結局家まで行って様子をみればどうだ、カフェイン含有量マッハの清涼飲料水に塗(まみ)れて机に突っ伏していではないか。
ああ、またこのパターンか。僕はお前のママじゃないんだよ。
ため息を一つ、コートを羽織ってエアコンのリモコンを探したが、愛猫の腹毛を見ていたらまぁいいかと思ってそのままにしておいた。
お前の部屋の前に立ち、鍵穴に鍵を差し込む。一応呼び鈴は鳴らしたが反応はなかった。その時点で僕は何やら腹の底、むず痒いような一点の焦燥感が湧き上がっていた。
後ろ手で扉を閉めながら自分の靴を脱ぎ、名前を呼びながら廊下を進んだ。床は冷えて冷たく、靴下越しに体温が奪われそうだった。見慣れた構造であるはずのお前の部屋が、未知の空間であるように感じる。
廊下を進んだ先、リビングに続く中央に長方形の磨りガラスがはめ込まれた木製のドアを開ける。磨りガラス越しに人影はなく、重苦しい闇がくすんで見えた。
リビングは閑散としており、雑然とした部屋の様子だけが暗闇にひっそりと浮かび上がっている。僕はパソコンデスクに視線をやったがやはりお前はおらず、電源が落とされたそれはじっと主人の帰りを待っているようだった。
そろそろと歩き出して寝室に向かったが、その際何かを蹴っ飛ばした。何だと確認しようにも暗くてよくわからず、スマホのライトを向けて照らす。お前がいつか通販で買った僕にはよくわからない玩具だった。硬質な材質を持つそれがフローリングに当たり小さく音を出す。僕はそれを手にとって適当に机の上に置いた。
リビングと寝室を隔てるドアノブを回し、少しだけ開く。幾ら長い付き合いの親友であってもプライベートルームに立ち入るのは気が引ける。
母親同士仲が良かったため気付けばお互いが傍にいるのは当たり前の関係になっていた。互いの家を第二の家としてよく遊んだことをふと思い出し、気付けば二十年、飽きもしないで顔を突き合わせていた。
再度名前を呼んでみた。返答はなかった。隙間から覗いた布団は薄っぺらくて、誰もいないようだった。
もう一度名前を呼んだ。
誰の声も息遣いもしなくて、改めてこの家の中には僕しかいないのだと思った。
次回更新は12月25日(水)、20時の予定です。
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