クマ君のリードをつけたまま、チャリンコを大邸宅から距離を置いた場所にロックして立て、立派な門構えに向かって、ひょこひょこと近づいていったのじゃ。人だかりの輪を制しながら前に進む。消防士や警察官が到着する前がよかろう。
いれば、制止されるだろうし、邪魔はさせん。坂本泉水が助かろうと助からずとも、基本的に、我輩には、一文の得もない。存在すら知られてない。じゃから、我輩が命を賭けてまでして行動に移すのがベストなのかは、いかがなものか、我輩には計りしれん。
ここで怖気づいてしまって、拒否して、命を長くまっとうすることもできたのじゃ。じゃがの、慈悲の心を持って生きていけば、それこそ、素晴らしい人生が、身に起こってくるのではないかと、勝手に思っておるのじゃ。
高い位置まであるブロック塀。これが最初の難関じゃ。人生について心理学の本を大手の書店で立ち読みしたことがあったのじゃが、壁にぶち当たると、いっちゃんわかりやすいのが、乗り越える。あるいは、諦める。
他に数種類あって、置換、これを、置き換えといって、触る痴漢ではなく、置換。別な目標に変える。あと、さらにわかりやすいのが、昇華。芸術面に傾倒して、別な形で結晶する。我輩はの、簡単に諦めはつけんし、言い訳も芸術にも向かってはいかん。堂々の真っ向勝負じゃ。
野球でたとえれば、古臭くて若いもんは知らんじゃろうが、大エースと大スラッガーとの名勝負ありきで、直球で堂々と真っ向勝負するのが最高じゃ。後悔したり、臆することなく闘うのが、最も美しいのじゃ。
そこで、高さが問題じゃ。ブロック塀の高さまでジャンプするが、足が不自由なため、高く飛べない。何度やっても無理じゃ。ならば、後ずさりして助走をつけ、ジャンプ。
それでも無理じゃ。屋内から炎がいちだんとめらめらしてるのが見え、時間の余裕がない。足がまともに動けばいいだけなのじゃ。まずは乗り越えなければならないのじゃ。我輩は考えた。そうじゃ。チャリンコじゃ。チャリンコをブロック塀に立てかければ、チャンスが広がるのじゃ。
名案じゃのう~~。我輩は、やはり天才なのじゃ。といってる間もなく、ひょこひょことチャリンコのところまで戻り、クマ君を距離のある場所に連れていき、よい子じゃからここで待っておるのじゃぞ、と言い聞かせ、チャリンコを引きずりながらブロック塀まで持ってって立てかけた。
これなら、何とかなるかのう。サドルに座ると、一メートルほどの高さは確保できたようじゃ。背後に倒れないように、間違っても後頭部を打たないようにと気遣いながら、両足でサドルに乗っかった。ここまではよい。
じゃが、両手を伸ばしても、ようやく届くくらいじゃ。それからは腕力に頼るしかないのか、腕立て伏せで鍛えてた過去を思い起こすのう。足が使えないなら手を使いなさいと、母ちゃんから教わったものじゃ。生きる術だよとな。
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