第2章 仏教的死生観(1)― 浄土教的死生観

第7節 心中と浄土信仰

そうはいっても、現実の心中は、「恋」の外に、半七の遺書にあるように「貧」に最大原因があったらしい。三田村鳶魚(えんぎょ)の言うように「仏教の信仰を全く除外するのではない」が「経済状態」が悪くなったことが大きく、「情死(しんじゅう)男の多くはおおむね手代級」で遊女も階級の低いのが多」かったようだ(「近松の心中物 自由恋愛の復活」『三田村鳶魚全集』12巻 中央公論社 ⑳)。

また享保よりも後の明和の頃には「日頃お互い浮気っぽくて前後の思慮なく、女郎は男に貢ぐ借金に苦しみ、男は女郎への愛執のために身の置き所なくてはたと困り、生きて恥をかくよりはと、『未来の縁』をたのむ愚かな心から実行したもの」という心中批判もある(明和5・一七六八年 飯袋子『麓の色』、『近世文藝叢書 第十 風俗』国書刊行会 明治44年 所収 新妻訳)。その意味では「心中は現世では敗北死」に違いなかったろう。

諏訪春雄の言うように、その敗北死には「純粋な恋すなわち人間の最も自然な生き方にとっては、未来浄土における成就・勝利だという夢」(諏訪・上掲書)が盛り込まれていたろうと思えば切ないものがある。近代の元キリスト教徒有島武郎の心中死事件などにはもちろん「浄土」信仰の跡形も見つけることはできないが、来世(現代では多くはキリスト教的に「天国」と言い換えられる)での浄土教的「倶会一処」の夢は近代になっても消えることはなく、おそらく一昔前の「一家心中」にも反映されているような気がするのである。

それというのも、作家・永井龍男(一九〇四~九〇)の『青梅雨』という一家四人合意による服毒自殺を扱った短編小説の中に、「誠なきいまの浮世を暮すより四人ともども死出の旅路に」という一家の老主人の辞世やその妻の自殺当日の仏壇の掃除のエピソードがちらと頭をかすめたからなのだが(新潮文庫 一九六九年)。