僕の大学デビュー天下取り物語

僕は肩で風を切って歩くことをやめた。

工学部のヤツらと大学内ですれ違うときは、さっと目を伏せた。

新一郎も周りのみんなも、喧嘩のことはなかったかのように振る舞っている。

誰もその話をしない。

でも少しだけ以前と違うのだ。あれだけイキがってたみんなも、なにかよそよそしい。僕らの薄い氷の上で成り立っていた関係は、この事件を機に確実に変化していた。新一郎とも次第に会わなくなっていった。

僕は思った。終わったんだと。僕の天下取りを夢見た大学デビュー生活が。四月から十二月、たった八か月の夢だった。隆志と初めて二人きりになったのは、工学部の喧嘩から一週間経ったときくらいだった。

その日は僕と隆志だけが取っている講義があり、それを受けた後に二人で学食に行くことになった。学食に向かう途中、金髪坊主の軍団とすれ違った。

隆志と金髪坊主はすれ違うとき、「おおっ」と笑顔で挨拶をして、二、三言会話を交わした。その間、僕はずっと下を向いて携帯をいじるフリをしていた。

隆志と学食に着いた。まだ口の中が切れて痛い僕は、食べやすいうどんを頼んだ。

隆志もうどんを頼んでいた。長い沈黙。周りの雑音に、僕らのうどんをすする音だけが聞こえる。

「この前、ありがとな」

「えっ?」

さすがに二人きりで喧嘩のことに一回も触れないのは気持ち悪いので、僕から仕掛けた。

「ほら、喧嘩。なんかあの金髪坊主に仇討ってもらう形になっちゃって」

「……別にお前の仇討ちのために、喧嘩したわけやないけん」

「えっ?」

隆志は僕の方を見ずにそう答えると、そのままうどんをすすった。

「…でもあれだな。金髪坊主と互角だったんだろ。オレもなかなか良い勝負したと思うんやけどなー。結局負けちゃって」

自分でも何言ってんだと思った。なにが良い勝負だと。一方的にやられて「助けて」と言っただけだろ、と。

でも自分の口から勝手に言葉が出る。自分の惨めでちっぽけなプライドをなんとか少しでも守りたいと。

「オレの右ストレートのダメージ、あいつに残ってた?」

「あのよー」

隆志が箸を置き、今日初めて僕の目をじっと見つめた。

ドキッとした。そして瞬時に身構えた。

分かったからだ。これから飛び出す隆志の発言が、確実に僕の胸を切り裂くと。

「お前って、ダサいよな」

「えっ?」

「入学したときから分かっとるからな。お前無理しとるって」

目の前が、一瞬で真っ白になった。

想像以上の言葉だった。心を切り裂くどころじゃなかった。完全に、木っ端微塵に、砕く言葉だった。

鼓動が早くなる。言葉が全く出てこない。

バレていたのだ。僕の今までが。「本物」の隆志には。

「ご馳走様」

隆志はそう言うと、空になったうどんの器を持って去っていた。僕はただ呆然と、去り行く隆志の背中を見つめることしかできなかった。

そこから僕は全ての終わりを覚悟したが、隆志は思いの外、普通に接してきた。

相変わらず喧嘩のこともそれ以来、一切触れないし普通に話しかけてくる。

村崎はそもそも初めから喧嘩のことなんか関係ないって感じだし、新一郎はあまり集まりに来なくなったが、表向きは僕らのグループは今まで通りだった。

でも僕はすごいコンプレックスを抱えるようになった。心にはずっと残っている。隆志のあの一言が。寝ようと布団に入ると、いつもちらついた。馬乗りで殴られて、「助けて」なんか言った自分の情けない姿が。

僕は、今までつけていた金のネックレスも、ゴツいピアスも外して、髪も黒にした。

僕が少しでもイキがったり、ヤンキーぶったりしたら、周りが心の中で笑うような気がしたのだ。

「本物になりたい」

村崎と夕暮れの海を見ながら、僕はポツリとそう呟いた。

「は? なに言ってんの?」

分かってんだ。自分がちっぽけな人間だって。

それを必死に隠してここまで来た。でも全部バレた。このままじゃ僕はずっとダサいまんまじゃないか。

本当にダメなヤツのまま、大学生活を終えていいのか。

「オレさ、ボクシングしようと思って」

「ボクシング?」

「強くなりたい」

村崎が思わず、笑った。

「ちょっと待って。お前もしかしてこの前の喧嘩が原因でそんなこと言いよる?」

「うん。あれがどうしても悔しくて」

「大学生だぞ、お前! 国立の!」

村崎の百二十%真っ直ぐ真っ当なツッコミが夕暮れの海に響く。

「え、なんかそういう喧嘩負けて強くなりてーみたいなのって、中学生とかまでじゃないの?」

全くその通りだ。でもオレはダメなんだ。

このまま何もしないと本当にダサいヤツのままになってしまうんだ。

「ダサすぎるって、それは!」

村崎は笑ってる。そういやこいつは高校時代の僕を見ているから、大学デビューしてることはとっくに気づいているはずだ。でも周りにも何も言わないってことは、そういうのに全く関心がないのか、ただただ良い奴なんだろう。

現に僕がこんなことになっても、笑って今まで通りに接してくれる。その優しさにも申し訳なくなってくる。

僕は真っ直ぐ海を見つめたまま答えた。

「今のままの方がダサいんよ」

【前回の記事を読む】あまりにも一方的な暴力。崩れ去る華やかな大学生活。結局、大学デビューの僕たちは主役にはなれない......

次回更新は12月21日(土)、18時の予定です。

 

【イチオシ記事】遂に夫の浮気相手から返答が… 悪いのは夫、その思いが確信へ変わる

【注目記事】静岡県一家三人殺害事件発生。その家はまるで息をするかのように、いや怒っているかのように、大きく立ちはだかり悠然としていた