「せっかくだけど、僕はパートナーにはなれません」
「それは結婚されているからということですよね」
「その通りです」
「私がパートナーに求める条件は、結婚できない人か、結婚する気がない人です。角野さんはその前者の条件に合格です」
「合格と言われてもなぁ」
「私は父のことが好きですが、その父と角野さんは少し似ています。だから私の父代わりになっていただくつもりでお付き合いしていただけませんか? 決して角野さんに負担をかけるようなことはしません」
「お父さんねぇ」
「父が大阪に単身赴任となって浮気相手とも別れざるを得なくなり、母ともよりを戻せず、出世の望みも絶たれて、とても落ち込んでいたところを救った実績が私にはあります。
父も精神科に通って、あっ、角野さんはメンタルヘルス科でしたね。父は精神科で鬱病の薬をしばらく服用していました。いずれにしても、きっと角野さんのお役に立てると思います。営業所ではいつも暗い顔をされていますが、私と一緒のときは表情が明るいです」
「それは認めるよ」
「今日は飲みましょう。2人の最初の夜の記念です。このマンションは2LDKなので一部屋空いています。飲みすぎて帰るのが億劫 (おっくう)になったら、そこを使ってください」
「そんなこと言われても泊まっていくわけにはいかないよ」
「角野さんのために布団も購入してあります」
「そんなことまでしてもらう理由がありません。僕の家は歩いても10分くらいなので問題なく帰れます」
「もし一人が寂しいようでしたら、私の部屋で一緒に寝てもらっても結構です」
「あれっ、誘惑しない約束では?」
「いえ、これはあくまで仮定の話をしているだけで、泊まって行ってくださいとは言ってません」
「相変わらずの屁理屈ですね。感心します。とにかく、飲んだら帰ります。何だか、あまりのことに驚いてしまってなんと言っていいか」
「とりあえずワイン飲みませんか。白も1本開けます」
気持ちが癒されて、今夜を愛おしく感じた。遅くなったけれど歩いて自分のアパートまで戻った。アパートに戻ると、いつもに増して部屋はがらんとして無機質だ。
こんなことをしていて、落ち込んだ深みから立ち直れるとも思えない。
それからは水島夕未が週に1回くらいはお弁当を作って持ってきてくれるようになった。
ときどき、2人でにしむら家に行き、そのあと彼女の部屋でワインを飲むことも習慣になった。ワインだけではなく、ビールやウイスキーも各種用意されていて、至れり尽くせりだ。営業所について話すことはだんだん少なくなり、本や映画のこと、ドライブや旅行のこと、お互いの子供の頃の話などが中心となった。
【前回の記事を読む】手作り弁当に隠したメッセージ。「もし気づいてくださったら、前に進むことに決めていました...ワインを揃え、部屋に来ていただく準備をしました」
次回更新は12月14日(土)、8時の予定です。
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