「いや、それは悪いから遠慮しておくよ」

「本当はお口に合わなかったんですか?」

「とても美味しかったというのは本当だよ。でも作ってもらう理由がないから」

「では理由を作ってください」

「どういうこと?」

「ときどき、この間のにしむら家さんでご馳走してください」

「でも一緒に食事にいく理由がないよ」

「仕事のことでいろいろと相談にのっていただきたいです。それからにしむら家さん美味しかったので、また行きたいです。これが理由です」

「困ったなぁ。どうしてそんなに僕に?」

「それは副所長の健康状態が心配なのと」

そこまで言うと近くに寄って来て小さな声で付け加えた。

「角野さんのことを好きになってしまったからです」

仕事の方は相変わらず上手く回らず、営業所全体の成績も一向に上向かない。逆に自分が来てから少し下がってしまった。給料が一人分増えて売り上げが下がったので、営業所には迷惑をかけていることになる。そう思って重圧感に苛(さいな)まれる日が続く。

抜け出せないトンネルに閉じ込められ、真っ暗な中で立ちすくんでしまった感じだ。鬱病の薬を飲むと気持ちは少し楽になるが、眠くて仕事にならない。1週間くらいそんな状態が続いた後、水島夕未からメールが来た。「営業所のことで内密に相談させていただきたいことがあるので、にしむら家さんに連れて行ってください」と書いてあった。内密に相談? 何だろうと思いながら、内密に相談したいなら仕方がないと自分に言い聞かせて、「それでは7時に現地集合で」とメールで返信した。

にしむら家に時間通りに着くと、水島夕未は既に来ていた。僕が入って行くのを見ると立ち上がって軽く礼をして、「お時間いただきありがとうございます」と言う。座って食事を頼んだ。今日は折り入っての相談ということなのでビールは頼まなかった。「内密の相談とは何ですか?」

「相談は木南所長のことです。所長はあんな感じのパワハラとセクハラで人望がない人です。彼がいる限り角野さんがいくら頑張られても営業所はよくならないでしょう。人望がないだけなら仕方がないですが、経費の不正使用もされていると思います」

「何か証拠がありますか?」

「私は経理担当ですが、所長は会食費の申請がとても多いです」

「でもそれだけではなんとも言えないですね」

【前回の記事を読む】「私の部屋に上がってください」誰かに会うといけないからと伝えると、彼女は絡めた腕に逆に少し力を込めた。

次回更新は12月11日(水)、8時の予定です。

 

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