しかし、彼の作る曲が数多く有名になるのは、その几帳面な性格によるメモ魔にあるのではないかと想像する。散歩をしていても何をしていても、曲想が浮かべば必ずメモを取り、それを数多く書き残しておくという、顔立ちに似合わぬ実に緻密な性格だったに違いない。それは一面神経質な性格とも言える。

シンフォニーの全9曲、ピアノ協奏曲の全5曲、ヴァイオリン協奏曲、全序曲集、ピアノソナタ、ヴァイオリンソナタ、弦楽四重奏曲等々その多くが有名になっている。

その種の曲が大半有名になっている作曲家など他にはいない。これは短絡的な見方だが、まさにメモの効用であろう。曲想が浮かんでも直ぐ忘れる人が多いが、ベートーヴェンはこれをこまめに記録して、自己の天才的な変奏能力もそれに一層輪をかけたのである。

そこでベートーヴェンは、第九番目の交響曲を作曲してシンフォニーにおける生涯を閉じたのである。

ところがこの九番目というのが後の作曲家達に不思議な迷信を生むことになるのである。シューベルトは定説では8曲、ドヴォルザークは9曲、ブルックナーも9曲(交響曲第0番の試作を除く)、マーラーも9曲(十番目は未完)。

ベートーヴェン後の交響曲作曲家は、この9番目の交響曲を書き終えると死んでしまうのではないかという迷信に囚われたのである。そのせいか、メンデルスゾーンは5曲(尤も彼の場合、天才なるが故に夭折だったため、人生における時間がなかったと思われる)。

シューマンは4曲(彼もどちらかというと四十六歳でこの世を去っているので、夭折組に入るが、途中ライン河に身を投げているので、9曲は無理のようだった)。