これらは、「髙=天原」の語形構造を読者に理解させるために「アマと訓め」と訓注がなされたとの主張であり、説得力がある。しかし、当代において「天原」をアマノハラと読むことが通常であったなら、そこにあえて訓注する必要があったのだろうか。
西宮一民は『古事記の研究』のなかで、小松の説(「髙=天原」語形構造説)をふまえたうえ、別の観点から精緻な考察を行っている。
西宮は、「上代人は『高天原』の文字連結に接した場合、どのような結合単位で理解するであろうか。それは、『高=天原』か『高天=原』である。訓注に『天』は『アマと読め』とあるから、『天原』であって、『高天』ではないとは言い切れない。」と主張した。
それは、「高」を冠してもタカ-アマノハラともタカアマ-ノハラとも言うことが可能だからである。
もし、「タカ-マノ-ハラ」との音読を聞いた場合、「タカマ=高天(高い『天原』の意味)」と聞き取ってもらえるとは必ずしも言えず、上代人にとって馴染みの深い「タカマ=高間(地名)」と聞き取られる可能性があることを懸念した。その危険性を排除するために、あえて訓注を施したと考察したのである。
それであるがゆえ、「『タカ-アマノ-ハラ』とも『タカ-マノ-ハラ』とも訓じても良いのではなく、ここは『タカ-アマノハラ』と訓まねばならない。」とし注4、「訓二高下天、云二阿麻。」との訓注は、「タカ-アマノハラ」と訓ませるためにあると断じている。
西宮一民編の桜楓社本『古事記』では、「タカ-アマノ-ハラ」と訓まれ、この読みはある程度、承認されている。同書は、原文(底本、真福寺本)に上代特殊仮名遣いの区別までして傍訓を施した出色のものとの評価がある注5。
日本最大の国語辞典である『日本国語大辞典』第二版注6には「たかあまのはら」の見出し語があり、また、神野志隆光など東大史料編纂所出身の学者らが編集・執筆等を携わった『新編日本古典文学全集[古事記]注7』などにも、「たかあまのはら」と表記されている。
同全集『古事記』の注には、「〈天〉を自然的存在ではなく、神々の住む一つの世界としてとらえる時の呼び方。訓注に従ってタカアマノハラと訓む。
アマと訓むことにより、〈高=天原〉という語構成であることを示す」とあり、「たかあまのはら」については、ある程度、認知されていることが分かる。
注1 『幻想の古代王朝』原田実 批評社 1998 p29~31
注2 『古事記の世界』西郷信綱 p27
注3 『鑑賞古典文学全集』23「中世説話集」 編集 貴志正造他 角川書店 1977 p275
注4 『神道集』編集 近藤喜博 角川書店 1978 p18
注5 『幸若舞』「百合若大臣他」東洋文庫355 荒木繁 平凡社 1979
注6 『日本国語大辞典 第二版 第八巻』p181
注7 『史話日本の歴史1 日本の源流を探る』監修 梅原猛他 作品社 1991 p246
【前回の記事を読む】なぜ「高天原」は「たかまがはら」と呼ばれるに至ったか?訓注を読み解いて謎を解け!