白川郷の人たちは、ごく当たり前に日常生活での伊島の話をする。

「あ、伊島の爺さんな、どえらい偏屈やった。農協で肉買っとったで、今日のおかずはお肉なんやなって話しかけたら、犬のエサだ、って言ったんやさ」

「お婆ちゃんが入院した時、何や用があるかと思ってすぐに家に行ったんやさ。そしたら、ああ、婆さんいない方が、サッパリしてる。来ないでいい、なんて言ったんやでな」

人を食ったような物言いに伊島の特徴をあげる人もいれば、

「奥さん、腰と足が悪うてなあ。そんで、赤んぼが死産してまって。可哀想やったなあ」

その昔、伊島夫婦が若かった頃の話をするお婆さんもいた。河田は、

「頭のいい人だったよ。オレなんか、裕也、裕也って呼ばれて可愛がられたよ」

と言っていた。みんな伊島の偏屈な人柄を言いながらも、伊島を特別視しているわけでなく、当たり前の村の爺さんとして付き合っていたようだった。

伊島が白川郷の普通の村人として、青年から爺さんと呼ばれるまでの六十余年間の生活を、穏やかに過ごしていたということだろう。それは逆に白川郷からすれば、ひとたび村の者になったからには、伊島も村の一部でみんな一緒なのだから、誰も伊島を追い出そうとはしなかった、ということだ。

アメリカ占領下の間はもちろん、現在に至るまで、伊島を守り抜いたということだ。篠原は白川郷の、たとえ国やアメリカが相手でもビクともしないけた違いの芯の強さに、初めて本物の凄みを感じたのだった。

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