無謀な経済政策
大昔からどこにでも見られる一般的慣習として、平和時には蓄えをして戦いに備え、征服或いは防衛の手段として事前に財を蓄積する。世の中が乱れ、混乱に陥った時には、決して並外れた課税などに頼らず、ましてや借金することはない。政府がその歳入をすべて費消してしまう状況では、必ずその国は衰弱し、不活動化し、不能状態に陥ることを歴史は教えてくれる。
デイビッド・ヒューム、“Of Public Credit”(1752)
ジェイムズ・モンロー(1817-25)とジョン・クインシー・アダムズ(1825-29)の政権はこのアコーディオンのようなパターンを継続した。
彼らは共に国家債務を127百万ドルから67.5百万ドルに50パーセント減少させた。ジョン・クインシー・アダムズの後継者アンドリュー・ジャクソン大統領はこのパターンを受け継ぎ、その論理的結末として国家債務をすべて消滅させた。
アメリカ合衆国は1836年において事実上借入なしであった。ジャクソンは中央銀行として機能していたアメリカ合衆国第2銀行を消滅させた。
ジャクソン政権最後の年はアメリカが歴史上唯一債務のない時期であった。偶然にもジャクソンの時からアメリカは70年間中央銀行を持たず、それは1913年に連邦準備銀行が設立されるまで続いた。ジャクソンの遺産は債務なし、かつ中央銀行なしであった。国の債務はすぐに戻った。
マーティン・ヴァン・ブレンの政権(1837-41)末期には債務は4百万ドルで、1860年にアブラハム・リンカーンが選出される頃には堅実に65百万ドルまで増加した。
この時期もっとも注目されるべき増加はジェームズ・ノックス・ポルク(1845-49)の4年の任期に生じ、33百万ドルから47百万ドルに増加した。
この債務の大半はポルクによる米墨戦争に関連して増加した。この戦争ではアメリカが現在のカリフォルニア、ネバダ、ワイオミング、コロラドそれにアリゾナのほぼ全部を奪い取ったため、支払われたカネが戦費となった。
テキサスは1845年にアメリカに併合されることが事前に合意されていたが、メキシコとの国境はまだ決まっていなかった。テキサスはポルクの戦争の結果、アメリカに帰属することが確定した。
戦争による支出があったにもかかわらず、ジェームズ・ブキャナンの政権(1857-61)の末には国家の債務は65百万ドルであり、半世紀前にジェファーソンが大統領職を辞した1811年時点の金額と同じであった。